「マジメも休み休み言え」——河合隼雄「こころの処方箋」より

河合隼雄氏の本を読み直す必要性を感じて、ちょうど目に付いた「こころの処方箋」を久しぶりに手に取ってみました。

こころの処方箋 (新潮文庫)
4101252246

本書は「こころ」に関する、気軽に読めるコラム集といった趣の内容です。あとがきには、初出は1988〜1991年の、トーハンが発行している読書情報氏「新刊ニュース」の連載だとのこと。単行本の初版1992年。文庫版1998年。Kindle版も出ています。

しかし、どうも近年では「心の〜」という言葉の重みが増しすぎて、本書では平仮名で「こころ」と表記するなど、柔らかさを印象付けようとしているのに、臨床心理学者の先生が書いた自己診断ガイドみたいな印象を持たれてしまいそうな気がしてなりません。

スポンサードリンク
さておき本書を読み返してみると、自分はこの先生の影響を大きく受けているなと改めて感じました。が、あとがきに次のようなことが書かれているように、自分の腹の底にある「常識」が、河合氏の軽やかな文章で掘り起こされて気持ちがいい、といった感覚でもあるのかもしれません。

 よく言われたことは、「フム、フム、と納得しながら読んでますよ」と言う類のほめ言葉であった。(中略)よく考えてみると、その人が「フム、フム」とうなずくのは、もともと自分の知っていたことが書いてあるからであって、私の書いていることは、既に読者が腹の底では知っていることを書いて居るのだ、ということに気づいたのである。端的に言えば、ここには「常識」が書いてあるのだ。
 皆の既に知っている「常識」を売り物にしていいのだろうか。それについては、私は次のように考えている。まず、現在は「常識」が、あまり知られて時代なのではないか。(後略)
(「こころの処方箋」あとがき P.231より)

この先では、常識が伝わる機会の喪失、そして常識を伝える人たちの常識に対する自信の喪失ということが指摘されています。1991年に。

タイトルに引用した「マジメも休み休み言え」という言葉ですが、本書の一編で「ともかくマジメだが、何となく人に嫌われたり、うとんじられたりする人がある」と、硬直し、遊びや対話の余地がない「マジメ」な人の存在を指摘して、河合氏にしては珍しく、日本人の特性としてそうであると述べます。

いわく、日本的にマジメな人は住んでいる世界を狭くして、その中でマジメにやっているので、相手の世界にまで心を開いて対話する余裕がない。限定された世界の中では絶対的にマジメであり、反省する必要もなくなるがが、その無反省さは鈍感や傲慢に通じるところがある……。そういうこと、あるなあ。

今日では、リアルでもネットでも、(おそらく1990年代初頭のころ以上に)「常識」はありきたりなものとして軽視され、表向き正しく、それゆえに圧力のある「マジメ」は跋扈しています。うーん、インターネットはもうダメだ(飛躍)。

読んでいて「本を編集する/伝わるテキストをまとめる」とはどういうことか、も考えさせられました。今の時代に必要なテキストとは、非常識な、または常識の隙を突くような着眼点からスタートし、何も動かすわけでないマジメさとは別の路線を取りつつ、新しい常識に着地するものなのかもしれないですね。

4101252246