切ると、自滅する:社会ネットワークのひみつ(5)

この文章は、社会的ネットワークと、その中での生き方について、息子(2013年現在、小学校1年生)が小学5、6年生ぐらいになったときに読んでくれる、という想定で書いています。

息子と、これから息子と関係していく方達に、何かの役に立ててもらうことができれば嬉しく思います。


前回「自分には細かく厳しく。周りにはおおらかに優しく」では、つながりを大切にしてやっていくための考え方を書いた。でも実際には、つながりを切りたくなることもある。ケンカをしたときには、勢いでアイツはもう絶交だ! と思うし、どうにもウマが合わない相手だっている。

今回は最終回ということで「切る」ことについて書きたい。

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ネットワークのつながり(リンク)は、ときには切る/切れることもある。機械のネットワークで言えば通信なり電源なりを切ること、人のネットワークでいえば「縁を切る」ことが、それに当たる。これからの時代「リンクを切る」ということについては、ものすごくよく考えて、とことん慎重になるべきだ。

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言い替えると、できるだけみんなと、末長くうまくやっていくことを考えるべきだ。それが結局のところ、もっとも自分自身の利益になると考えられるからだ。

昔のネットワークは小さく、断片化されていた

ネットワーク理論という分野は、1960年代あたりから盛んに研究されだしたらしい。世界はずっと前からネットワークだったけれど、昔の社会は、今よりももっと小規模で、変化もなく、それほど「ネットワークだ!」と意識しなくてもいいネットワークだった。

例えば、人口何百人かの村で、これといった交通機関もなくて離れた町と行き来するのには何日もかかる、インターネットも電話もない、といった状態だったならば、ネットワークも一定以上に複雑になりようがない。

だけど、交通網が発達し、電話やインターネットなど通信網が発達した今の社会では、ネットワークはものすごく複雑だ。町内の人たちだけではなく、遠く離れた知り合いや、まったく知らない外国人とも接続する機会は多い。昔ならば転校した友達とはおのずと疎遠になったものだけど、今ならば、インターネットなどを介して、つながりを続けることもたやすい。

それに現代の私たちは、孤独な時間が減り、あちこちのノードに繋がって過ごす時間が増えている。昔ならば学校から帰れば次の日まで友達とは会わないけれど、今ならば、ネットで24時間つながり続けることだって可能だ。おのずと、そうしたネットワークから受ける影響は大きくなっていく。

巨大な1つのネットワークになる世界

そんなこんなで、世界はどんどん「大規模な1つのネットワーク」としてまとまってきている。昔は、ある町でケンカを起こして住みにくくなったら、知らない町に引っ越してやり直す……みたいなことも簡単にできた。

だけど今は難しい。情報は流れやすいし、人の移動も多いから、ケンカ相手と再び出くわす可能性も高い。いいことではないが、何かをやらかしてネットに「晒され」たら、世界中にそれを知られてしまう。

安易に切るほど、トラップが増える

だから、安易に関係を切ることを続けていくと、深刻なレベルで世界が住みにくくなっていく。仮に自分が100%正しくて、間違っていた相手を追放した、という形で関係を切った相手がいたとしても、相手はいつか何らかの形で立ち直り、心も入れ替えて、また対面する機会があるかもしれない。相手は自分に恨みも何も持っていないかもしれないが、そういう場合、いささか気まずくなる。自己嫌悪を感じるかもしれない。

そんなときに気まずい思いをしないためには、どんなに間違っていてひどい相手だと思ったとしても、最大限に真摯に接することだ。その場では面倒くさいが、最終的には、いちばんいい。

何かを極めていくと、世界は狭くなる。例えば君が今後サッカーを続けて日本代表クラスの選手になったり、ポケモンにやたらと強くなって日本代表クラスのトレーナーになったとしたら、同じようなレベルの子たちと知り合うことになる。そこには、高くて(ハイレベルで)狭いネットワークができあがる。何かを極めた世界というのは、趣味や考え方が近くて濃い人たちが集まるため、細かいことでの衝突も起きやすい。

そんなときに、狭い世界でケンカをすることになったり、昔バカにして仲違いした相手とひょっこり再会することになったりしたら、ものすごく気まずい。しかも、世界は狭いから避けようもない。

また、実際問題として完全に関係を切れるものではない、というものもある。どこかの大きな組織が何か不祥事をやらかす。自分は関係ない。だけど、巡り巡って尻ぬぐいをやらされる、なんてことも多い。だったらその組織に関係し続けていたら事態はよくなったのか? というとなかなかそうもいかないが。

とにもかくにも「安易に関係を切るのは、自滅のタネになる」ということを、頭に血が上ったときに思い出せるようにしておくと、いろいろと失敗が減らせると思う。

最後に話をまとめよう。

おそらく、怒って感情のままに相手を攻撃し、縁を切るというのも、ある意味では人間の本能に基づく行動なのだろう。自分に不利益をもたらす仲間と決別することで、生き残る可能性を増やすような効果もあったかもしれない。

しかし今の社会では、安易につながりを切るリスクの方が高い。どんなにイヤな目に会った相手、嫌いな相手でも、いつかまた合う日もあるかもしれないと考えて、可能な限りいい形で関係を繋ぐようにしていきたい。


今回の写真は空港。道路、鉄道、そして航空路などは、いずれも「交通網」という言葉もあるようにネットワークの一種だが、空港には、陸上の交通よりも顕著に見られる、ある特長がある。

それは「大規模な空港はどんどん大規模になる」というものだ。例えば東京近郊には成田、羽田という空港があり、主に国際線の航空機は成田空港を利用するが、世界の航空路が増えるたび、成田空港に来る飛行機が増える。

それは、成田がすでに便利だからだ。大規模で施設が充実していて、乗り換えの便も豊富にあり、とりあえず成田に行くことの利便性が非常に高い。

このように、ネットワークが成長してノード(ここでは国際航空便でありその拠点となる空港)が増えたときには、すでに大規模な(人気の高い、注目度の高い)ノードに、優先的にリンクしようとする。これを「優先的選択」ということがある。

例えば、新しくクラスに入った転校生は、クラスの人気者や世話を焼いてくれる人と親しくなる可能性が高い、みたいな話だ。

陸路の場合、地理的制約が強く働くので、優先的選択は航空路ほど強く働かない。例えば東海道新幹線は横浜を通るとき、横浜駅に接続するのをあきらめて新横浜駅という新しい駅を作ったりしている。

このあたりの話は掘り下げていくととても面白いのだけど、脱線しすぎるのも何なのでこれくらいにしよう。より深い話は、第1回でも紹介した「新ネットワーク思考」に詳しい。