「記録としての写真」を撮る

芸術性を追求し、引き算によってフレームに余計な対象を入れないように撮る「作品としての写真」に対し、「記録としての写真」は足し算でいろんなものをフレームに入れて、情報量を追究したもの、と、ここでは大雑把に捉えます。

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何の前提もなく「写真」または「写真を撮る」と言うとき、今でも「作品としての写真」を強くイメージする人が多数派でしょうか。写真をもっぱらスマートフォンで撮るような人は、どちらかというと「記録としての写真」の感覚の方が強いものでしょうか。

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私は「作品としての写真」を志向して写真に興味を持ち、もっぱらそちらを撮ろうとしていましたが、結婚し、子どもができて、年々「記録としての写真」の意義を感じることが多くなっています。

咄嗟にシャッターを切ったためにフレーミングができていなくて部屋全体が写ってる写真とか、手元にコンデジしかなくてあんまり背景がボケなかった写真とか、うっかり丸まったオムツまで写しちゃった赤子写真とか、そういう写真が、何年か経って見返してみると味わい深いんですよね。

「子供の写真は子供だけじゃなくて部屋全体を撮っとけ」とかよく言われますが、まさにそれで。一方で、うまく「作品」として撮ったつもりの写真を数年後に見返すと、粗ばかりが見えてしまったり。

なぜ、そんなことを改めて書いてみようと思ったかというと……。上記だと「作品として失敗した写真も記録として見ると面白い」または「記録としての写真には特に技術とかいらない」という感じですが、もっと前向きに能動的に「記録としての写真」を研究してみるべきではないか、という名目でGoProやらウェアラブルカメラを使い込んでいきたい、と思うわけです。

よりよい「記録としての写真」とは例えば、

  • 定量的な軸がある。定点的、定期的もしくはその両方の軸で撮られている
  • パンフォーカスで撮られている
  • 解像度が高い
  • 階調が豊かに記録され、白飛び・黒潰れを起こしていない
  • 撮影機器の進歩を反映し、動画や音声としても撮られている

てなことが条件として挙げられると思います。こう挙げてみると面倒くさい感じがグッと高まりますが……。まあいいか。続きはまたいずれ。

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冒頭の写真はJR王子駅のホームから撮った、なんてことない風景です。が、ここの建物は2012年の火事で焼失していて、今ではこの風景は見られません。