「荒らしはスルー」が適切でない場面

「ネット選挙」解禁以降、ネットのルールが1段階変わったという印象を持っています。「ネットが(伸びしろたっぷり余白だらけの)フロンティアでなくなった」と書いたのは2012年の頭でした(実情としては何年も前からそうだったと思いますが)。

フロンティアでなくなったネットで、サスティナビリティについて考える :Heartlogic[旧館]

そして「ネット選挙」によって、ネットは明確に「伸びしろ」などないゼロサムゲームの場となったと感じます。

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選挙の得票数争いはまさにゼロサムゲームですし、大きな事件があったとき、Twitterなどでは誰もが意見を表明したり、自分の近い意見をリツイートしたり、「拡散」により大勢への周知を強く意識するなど、昔の「分かる人だけ分かればいい」式なネットユーザーの気質との大きな違いを感じます。

2013年参院選の東京選挙区において、ネットに明るく、非常に上品な選挙運動を展開した鈴木寛候補が落選し、苛烈な対抗候補等の批判を展開した山本太郎候補が当選したことは、ネットに新しいゲームのルールが持ち込まれたことの象徴かもしれない、と思います。

「スルー」が有効なのは内側だけ

ネットで紳士的淑女が取るべき態度として古くから言われる「荒らしはスルー」というのは、小さなコミュニティ・クラスターを安定させるためには重要です。しかし人々の生活におけるネットの影響力が高まり、「スルー」したとき内輪以外に「反論がないのは反論できないからである」式の解釈が広がっていくのを無視できない状況が、今後多くなっていくかもしれません。

あらゆる意味において「荒れないようにする」のが第一に重要であるのはもちろんです。その上で、利害が対立する相手と交渉できるチャンネルや言葉を持っておくことが重要で、それがないと、あからさまに勝負に負けるような場面はないとしても、徐々に周囲を削り取られて支持を失い、縮小していくのでしょう。

趣味でこぢんまりとネットを使いたいだけだ、というスタンスの人がそこまで考える必要はないかもしれません。しかし、自分の楽しめるエリアがいつのまにか削り取られているという状況は、意外と身近な現象として起こりうるのではないかと思うんですよね。

それに「趣味でこぢんまりと」だけに留まらせてくれない影響力が、今のネットにはあります。ネット選挙運動はガン無視するとしても、諸々の生活に関わる状況やら主義主張を、すべて流すことができるかというと、なかなかそういうわけにも行かないでしょう。

諸々のネット・表現関連の規制の動きも無関係ではありませんし、いつのまにか自分の趣味が悪いイメージになっていた、ということもあり得ない話ではありません。サスティナビリティというか、活動をうまい具合に続けていくことを考えるとき、見るべき範囲は広いよなあ、と改めて感じる昨今です。「内側」にあたるコミュニティを持っていないと、そもそも考えてもしょうがない話と思われるかもしれませんが……。