ブログ10周年に改めて「書く」ことの多義性を考える

「文章のみがき方」(辰濃和男)を読みました。

「毎日、書く」「書き抜く」「紋切り型を避ける」「辞書を手もとにおく」など実に真っ当な文章術、文章表現論でした。著者は朝日新聞社出身で、天声人語の担当も長年勤めた方だそうです。

文章のみがき方 (岩波新書)
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ただ、この本に書かれている文章とは、あくまでも伝統的な、ネット以前のメディアを前提とした文章術です。今の時代の「書く」ことや、書かれた「文章」は、このようなものばかりとは限りません。

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これまでの「書く」だけが「書く」ではない

旧ブログでも何度となく似たようなことを書きましたが、ネットメディア、ソーシャルメディアがある今の時代、「声」と「文字」、「書く」と「話す」の境目は非常にあいまいです。

特にブログは、伝統的な文章術をベースに書くこともできるし、話し言葉に限りなく近い書き方もできます。また「ビデオブログ」なんかはもう「文章術」とは別の次元にあると言ってしまってもいいかもしれません。

こうしたことを考えるとき、思い出すのは「ネタフル」を知ったときの衝撃です。

2003年ごろの話ですが、なるほどこれがブログか……とネタフルを読んでいると、サイト紹介のページに「書くことが好き」とか「書き続ける」とかいう記述がありました(あったと記憶しています)。私は一応ライターとして、伝統的メディアの方に軸足があったので、ニュース紹介記事における引用+コメントをメインとした形態事が「書く」なのか? と引っかかるものを感じました。

でも、ネタフルの通常のニュース紹介記事における、高度洗練されたコメントの当たり障りのなさは、偏屈な私にも特に拒否感を持たせないレベルでした。

また、時おり書かれる突っ込んだ文章を読むと、非常にグッと来たりよく分かったりするんです、これが。「書く」には従来のすんなりイメージできる「書く」以外のいろんなアプローチがあるし、ブログを「書く」というのは奥が深いぞ、と思ったものでした。

超長寿連載としてのWeb

さて、あなたの「書く」はどんな「書く」ですか? と、紋切り型の見出しになってしまった……。「ブログを(または他の何かを)書く」と言うとき、その「書く」とは何なのか? できるだけ磨き抜いたものを世に出したいのか、淡々と書き残したいのか、脳の衝動を直にアウトプットする勢いで書き飛ばしたいのか、など、いろいろ「書く」の実態はあると考えられます。

私はここのところ「書くことのエネルギー効率」と、「連続性を持って書き続ける
こと」について考えています。

なんと言うか、ブログに書くという行為は、単発の文章が集まるというよりも、どうしても「超長寿連続」のような体になり、それに強い基本のスタイルというのはあるんだろうなと。「進撃の巨人」よりも「コボちゃん」を基本姿勢にするべきか? というような、そんな感じです。

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