ライブでちゃんと見ないで撮影してばっかり問題

子供の行事をライブでちゃんと見ないで撮影してばっかりなのはどうか? というよく指摘される問題。

一期一会のものを自分の目でしっかり見るべきだという意見もある。でも何だかんだで撮ってしまうのは、一種の強迫観念みたいなものもあるのかなあ…。

と思っていたんだけど、人の記憶力よりも人が扱える記憶素子の方が圧倒的に強いのでしょうがない。というのが最近の結論です。

とはいえ、場の雰囲気としてはよくないといえばよくない。特に学芸会的なやつの鑑賞態度として問題ある気はするけど、記憶素子の方が強いから仕方がないし、業者だけ撮って売りますってのも誰も納得しないので、うまくやろう。何とかして。


マストドン(Mastodon)まだやってない

マストドンを始める元気がなくて、何もしていない(いくつかアカウントは取った)。

昔、切込隊長ブログ(当時)だったかな? 日本のインターネットのコアユーザーなんて数十万人の前半ぐらいでそいつらがあちこちのサービスをぐるぐるしてるだけだみたいなことが書かれていて、まーそうだろうなーと思ったものだけど、日本のMastodonの各インスタンスのユーザー数など見るに、当時からさほどコアユーザーの規模は変わっていないのかなと思われる。

日本のマストドンインスタンスの一覧

十数年前と比べれば爆発的にインターネットは普及したけれど、どうやらその分はみんな「友達がやってるから」とか「有名人がやってるから」とか「機能がついてたから」とか「仕事でしかたなく」とかのユーザーなのだ。その世界は今でもわりとスッパリ別れるのかもしれない。

なるほどMastodonは、かつての大手商用BBSに対する草の根BBSのような位置づけて定着していくような気がしてきた。今のところ中の空気感がさっぱりわからないのだけど、きっと元気とコミュニケーション欲が余っていたら飛びついていただろう。今はとにかく休みたい。

このブームで名古屋のデザイン会社「マストドン」は急速に認知度を上げたのではないだろうか。私は3回ぐらい打ち間違えてアクセスした。


ミュシャ展で「スラヴ叙事詩」を見て戸惑う

新国立美術館で2017年6月5日まで開催している「ミュシャ展」に行ってきた。見どころはミュシャ晩年の超大作「スラヴ叙事詩」全20枚揃っての初の海外展示ということで、これは万難を排して見に行かねば! と。


※これは撮影可エリアの写真

公式サイトからスマホ用のオンラインチケットを購入でき、入場時にご丁寧に半券(物理チケット)をいただけるので、おすすめ。

▼公式サイト
ミュシャ展

万難を排して見に行き、その壮大さに圧倒されてきたのだけど、一方でなんかこうモヤッとしたものもあったので、記録として書いておく。

入ってしょっぱなにスラヴ叙事詩、そのあとでお馴染みの(「ジスモンダ」などの)作品という構成はどうなんだろう? 正直、久しぶりの美術展でいきなりバカでかい絵を見て、その後普通のサイズの絵という感じになったので、なんというかサイズ感が狂うというか、順番的には反対の方がもっとおいしくいただけたじゃない? みたいな感じがある。会場のレイアウトの都合上しかたないんだとは思うけど。

現代の日本で暮らしていると「スラヴ叙事詩インスパイア系」の絵に大量に触れることになり、どうもオリジナルを前にして「どっかで見たな…」という感じがしてしまう。こういう話はTwitterでも目にしていて、それは後世の絵描きが画法をブラッシュアップして取り入れているからだろうけど失礼な話だなあ…と思っていたのだけど、実際見てみると確かにそんな感想が出てくるのを止められなかった。個人的な印象としては、群像を描いた絵などは「コーエーのゲームのパッケージっぽい」という印象がものすごかった。

アール・ヌーヴォー調の絵の中でミュシャの作品には他者には真似しがたい品のよさや精緻さを感じるが、スラブ叙事詩の油彩画からは、あんまりそういうものを感じなかった、ということがあるかもしれない。

何か今の自分にない鑑賞のポイントを発見したら、もう一度行ってみたい。

ところで巨大な「スラブ叙事詩」は巻いた状態で運ばれてきたのだとか。公式Twitterより。

ミュシャ展の公式サイトでは、作品を展示する作業の動画も公開されいる。


「けものフレンズ」を見てたので感想を書く

ある日突然「けものフレンズ」がどえらく話題になり、人類滅亡後の世界なんじゃないかとかいろいろ不穏で面白げな噂も聞こえてきたので、見た。

正直なところ、第1話を見て今時のアニメーションとしてはクオリティ低すぎでは? と思った。が、知人がこのアニメはすべて3Dモデルであり、同じプロダクションの作品の中で質は順調に上がっているのだと教えてくれ、なるほどそれで見慣れない動きなのかと納得して、映像についてマイナス評価するのをやめた。

全体としてジャパリパークは極めて純度の高い理想の世界であるが、視聴者視点では何かあっらたすぐ壊れてしまいそうな危うさをビンビン感じる。そもそもフレンズから見えない範囲の設定に不穏な感じがあるし、繁殖や寿命について考えだしたら、かばんちゃんがより長くジャパリパークでフレンズと関わり、なんとなく指導的な立場に立つようになったら…などなどと世界のバランスを崩す要因もいろいろと思いつく。そんな世界を、やさしく見守るアニメでもあるのかなと思った。

言い換えると、映像のクオリティを含めて作品の世界観が視聴者の鑑賞態度を既定していた部分もあった気がする。相当に重いであろうジャパリバスを持って跳躍したり、何となくバッテリーの仕組みを皆が理解していたりとちょいちょい「どういう設定なんだ??」と思ったところはあったが、そういうところに無粋な突っ込みをするのでなく、謎めいた理想の世界が営みを続ける奇跡を見守りたいという気分であった。そして作品世界は期待どおりの謎めいた理想の世界であり続けた。

結果として、視聴者がやさしい気持ちになり癒される、そして、相手をプラス評価する習慣が身につく、みたいなことになっているのではないか。後者は期待を込めて言ってみただけだが。


日本でいちばん面積の小さい都道府県は大阪府じゃなくて香川県

日本でいちばん狭い都道府県は香川県だということを、つい先日知った。

息子に買ってあげた本を何の気なしに読んでいたら、ヒントに「オリーブで有名」とか書かれていて、えっ大阪ってオリーブよりはたこ焼きでしょ? とか混乱した。しかし香川なら香川で、うどんでしょ?

私が地理トリビアみたいな本を読み漁っていたころは大阪府だったはずだが、どうも1988年から香川県ということになっていたらしい。なんと30年近く知らなかったのか! と、知識をアップデートしないことの恐ろしさを思い知ったのだった。

面積が逆転した理由については、こちらが詳しい(東京書籍の「東書KIDS」内)。

この結果,井島の香川県側と岡山県側の境界が不確定の ままであることが判明し,香川県の行政面積からこの井島を含む香川郡直島町の面積14.2km2を削 除(さくじょ)することとなったのです。
香川県

中途半端に引用したが、岡山県と香川県のそれぞれに属する自治体のある「井島」という島があり、漁業権の問題などから互いが主張する境界が食い違っている。面積を計算する基準の地図の精度を上げたときにこの自治体の面積を加えるのをやめたら、香川県の方が面積が小さくなっちゃった、ということらしい。これがなくても関西国際空港による埋め立てで大阪が逆転したという話もある。

まあしかし、両府県とも非常にキャラが立っているし、「最小」かどうかなんて、ネガティブにもポジティブにもどうでもよさそうではある。仮に大阪や香川の人と話すことになっても、まず面積の話はしないだろうし。

1988年当時「鎌倉幕府成立の年が変わりました」ぐらいのニュースになったのかどうかもまったく記憶にないが、とにもかくにも、息子にしたり顔で間違った知識を伝えてしまうという失態をかます前に気付けたのは、まあよかったということにしたい。学研さんありがとうございます。


DeNAの第三者委員会調査報告書を読んでの雑感

いわゆるWelq問題、DeNAキュレーションメディア問題に対する第三者調査報告書の要約版を読んだ(要約していない版も拾い読みした)ので、思ったことをいくつか書き残しておきたい。ちなみに要約版で34ページ、要約していない版は306ページある。

第三者委員会調査報告書(要約版)公表のお知らせ(証券コード:2432 | IR 書類ナビゲータ)
第三者委員会調査報告書の全文開示公表のお知らせ(証券コード:2432 | IR 書類ナビゲータ)

「短期間で収益を上げる事業」としてのメディア事業とは

DeNAが「キュレーション事業」を始めたのは、比較的短期間で収益を上げる事業を求めてだという(要約版P.4)。のっけからガツンとくるレポートだ。Webメディアはなかなか儲からないというのが自分なんかの感覚だが、コンテンツをタダ同然で調達しSEOを徹底すれば、短期間で収益を上げらえる事業になるのだなあというのに、素朴に驚く。

他人が作ったコンテンツを持ってきて適当に混ぜ合わせて自分のところに置きデカイ声で宣伝するという、誰の役に立つわけでもないコンテンツ連動広告の横取り行為を事業だと考えられる発想力がないと、そういうビジネスをやろうと考え付かないのではないか? などと底意地の悪い私としては思うのだが、特段メディア事業の経験も思い入れもなく、また、はてブやらTumblrやらNAVERまとめやらといったサービスの存在を考えれば、その発展形としてソレというのも、まあ自然に考えられるものだろうか。

「キュレーション」という言葉の意味はどこで決定的に変わったか?

私の記憶が確かなら、ネット上の情報のレコメンデーションを「キュレーション」と呼びだしたのは佐々木俊尚さんで、当初の「キュレーション」はオリジナルのコンテンツにトラフィックを流すことで、それなりに全体の共存関係のようなものが担保されていたと思う。

それがいつのまにか、コンテンツを自分のサイトに持ってきて広告で稼いだるでーという行為が「キュレーション」になっていたのだろうか? これまた私の記憶が確かなら、NAVERまとめあたりからだろうか(元サイトへのリンクはあっても小さかったり、なかったりした)。

報告書のP.35では、キュレーションの定義を“「キュレーション」とは、一般的に、インターネット上のコンテンツを特定のテーマや切り口で読みやすくまとめ、編集・共有・公開することをいう”としている。この定義では、オリジナルサイトとの関係について明確にされておらず、第三者委員会のその点の認識がよくわからない。

それにしても、MERYの画像の扱いについて(P.153)、DeNAは根本的な見直しは指示せず何とか免責を主張できるよう剽窃元サーバーの直リンクにしろと言い、ペロリ側は相手サーバーへの負担を考え自社サーバーに持ってくることにした、というのはどっちも悪い冗談とでも思っておかないと恐ろしい。DeNAは何とか法的責任を回避しようとし、ペロリはそもそも不法行為という認識がなかったということか。

本事件を受け、プロバイダ責任制限法の見直しは行われるだろうか。「プラットフォーム」を標榜しつつ実質的に自社メディアとして運営することで自社の責任範囲が縮小されるというのは、さすがにイカン抜け穴だろう。

安い仕事は受けるヤツが悪い

クラウドライターへの報酬の安さについて、こういう言及があった(P.273)

しかし、クラウドソーシング会社において募集されている記事執筆業務の金額的条件には幅があること、DeNAは、クラウドソーシング会社を通じてクラウド執筆ライターを明示していること、クラウド執筆ライター等はクラウドソーシング会社が募集する業務の中から、自らの意思で業務を選んで受注していたことからすれば、(中略)不当に安かったとは考えられない。

趣旨としては「単純に『不当に安い』と糾弾はできないが、不適切な記事を産む背景になったことは否定できない」といった形でたぶんに批判的ではあるが、一方で「安くても受けるヤツがいるから成立してるんだろ」というニュアンスにも取れる。「書く」以外に何もないライター業は辛い。

本報告書で明らかになったDeNAキュレーション事業の展開やノウハウについて、諸々の問題点以外はすばらしく参考になる(問題点も反面教師として参考になる)という意見も見た。が、コンテンツの盗用など不法行為をせず、編集体制を整えてコンテンツの質を保証し、スタッフにもまともな報酬を支払って、とすべての穴をふさいだうえでのメディア事業が、どの程度うまみのあるものになれるのか疑問ではある。いやまあ疑問ではあるとか他人事みたいなこと言っていられる立場でもない気もするが。


映画「この世界の片隅に」を家族で観た

打ちのめされて言葉もない。が、「観た」だけで終えるのも何なので、何か書いておく。

個人的な好き嫌いで言えば、好んで観たいジャンルの作品ではない。ただ、くっそ苦い草も最適な料理人が最適な調理法で煮込んだり干したりなんかいろいろしたらそこから「滋味」とでも言っとくしかないような形容しがたい不思議な味わいが出てくることがあるよねみたいな、そういう作品だと思う。原作は読んだことがあったなと思ったけど、それは「夕凪の街 桜の国」で、こちらは未読だった。

超気が進まない様子(気持ちはよくわかる)の息子を連れて、家族で観に行った。観終わったときにはげっそりした顔で「やっぱり観たくなかった」と言っていたが、原爆のことや広島や呉のことなどへの関心は芽生えたようでいろいろと聞かれたし、「オバマが広島に来た意味がわかった」とも言っていた。なるほど、そこに繋がるのか。

何かを「知る/知っている」ことが、必ずしも幸福や利益につながるとは限らない。本作の主人公である「すず」やまわりの人たちは、後世の私たちが知っていることの多くを知らない。しかしまあ、知らないでいるよりも知っていた方が、少なくとも運命を適切に受け入れられるようになるはずで、それが価値の1つだ、というのが多くの人の行動を支える原理ではないかと思う。

映画で語られた場面のあと、すずは多くのことを知ったり経験したりしただろう。私は、当時に暮らす人たちの生活感や視座のひとつを経験した(気になった)。息子はこれから見聞きするであろう多くのことと、本作を関連付けて考えるのだと思う。

それらは必ずしも楽しさや利益に直接結び付くものではないかもしれないが、何というか、たぶん「手札が増える」みたいな感じになるんじゃないかなあ。細かい札かもしれないけど。


2017年を迎えて

あけましておめでとうございます。

ブラック企業が強烈に話題になっている昨今、そういう話なら出版業界なんて20年以上前からどブラックで、あー「時代が追い付いてきた」ってこんな感じなのかな? とか思ったりしている。いわゆるひとつのクリエイティブな業界はどこも似たようなもので、「うちもクリエイティブでーす」みたいな業界が増えてる感じか?

フリーランスでなくなり(数年前から)、クソ忙しくてブログどころでなく悶々としていた中、昨年は仕事に関連する話題をブログに書こうという考えをスッパリ諦めるなどいくつかの割り切りを行い、その前の何年かよりは心穏やかに1年を過ごすことができた。今年もまあそんな感じでやっていきたい。

1.ブログで主に更新しているのはポケモンの話です
2.ポケモン対戦はもうちょい上手くなりたい
3.そのうえで「もっと遊べる余裕がある生活」を作るために活動したい
4.今年は「発注力」「先手打ち力」の向上を意識していきたい

という感じです。よろしくお願いいたします。


「甘々と稲妻」。またはSNS時代の「安らげるもの」について

いやー、もー、これはすごい。簡単に言えば「みんなでごはん作って食べる」だけのマンガが、こんなに心に刺さるものだとは。

甘々と稲妻(1)

「みんなでごはんを作って食べる」という、あるところには当たり前にある営みができないでいた人たちが、切実に欲して、集まって、ようやく手に入れたそれを大切に大切に味わう、という様子がただただ愛おしい。それだけで泣ける。

「君の名は。」でも似たようなことを感じたんだけど、「甘々と稲妻」を読んだら言語化できる気がしてきた。

結果的に完全なる善で、観客や読者が安心して心を寄せられる登場人物たち、互いを常に無条件に信頼していられる関係というのは、今の時代の人たちが最も求めているものなんじゃないかな。

SNS時代の私たちは、人とのつながりを常に求め(求めさせられ)ながら、一方で常にコミュニケーションに不安を感じてもいる。対話のすれ違いに傷ついたり気を揉んだり、無言の時間にすら意味を見出して凹んだり、時には「炎上」したり。私たちはまあ言ってみれば、常に関係を求めると同時に関係を恐れている。

そんな中で、「ライナスのブランケット」にように無条件で安らぎを得られる物、に代わってキャラクター間の関係というのは、今を生きる人たちにとって最高の憧れの対象なのかもしれない。


上白石萌音「chouchou」に圧倒される

「君の名は。」で三葉役を演じた方である。デビュー作から歌唱力の評価が高く、RADWIMPSの曲をカバーするという話は何となく見ていたのだが、「ミュージックステーション」で歌を聴いて衝撃を受けた。すごい。

で、AmazonでCDを探したらAmazonプライムミュージックに入っていたので、さっそく聴いた。

Apple Musicでも聴ける。あらゆる定額配信サービスに入っているのかもしれない。

何といえばいいんでしょうか。「君の名は。」の印象を引きずっている部分もあるかもしれないけど、けれん味がなく、とても素直で、技術も確か。安心して引き込まれていける、という感じがある。