親として思うソーシャルゲームのこと  

(追記:2012.5.12) 続きを書きました。 親として取り組みたいソーシャルゲームと未来のICTのこと 「マンガなんて読んではいけない」とか「テレビばかり見ているとバカになる」とか子どもの頃に言われていたのは、私のもうちょっと上ぐらいの世代でしょうか。 1972年生まれの私...

(追記:2012.5.12) 続きを書きました。
親として取り組みたいソーシャルゲームと未来のICTのこと

「マンガなんて読んではいけない」とか「テレビばかり見ているとバカになる」とか子どもの頃に言われていたのは、私のもうちょっと上ぐらいの世代でしょうか。

1972年生まれの私が子どもの頃、親たちにとっての最大の心配のタネはテレビゲームの類だったと思います。小学生の頃にゲームウォッチやファミコンのブームが起こり、高橋名人がテレビで「ゲームは1日1時間!」と呼びかけたりしていました。

ファミリーコンピュータ 本体

ソーシャルゲームは過去の「悪いもの」とは異質なのでは?

そんな私も親になり、マンガもテレビもゲームも、適度な付き合い方は子どもに伝えられると思っています。ケータイ(スマートフォン含む)についてもまあ大丈夫でしょう。しかし、さらに新しい心配のタネが出てきています。ソーシャルゲームです。

これは「ゲーム」と名が付いているものの、システムとしてはテレビゲームや携帯ゲーム機とは大きく異なります。今持っている問題意識は過去の親たちと同種の「新しいものが分かっていないだけ。じきに慣れる」ものなのか、「過去の『新しいもの』たちとは異種のヤバイもの」なのか……。どうも後者なんじゃないの? と思えてなりません。実際のところは、どんなものなんでしょう?

ソーシャルゲームの世界を解説する本などもいろいろ出ていますが、まずは現在の頭の中の棚卸しとして……。

「スキマ時間」の罠

かつてのテレビゲームは、高橋名人も言っていたように数時間以上の、まとまった時間で遊ぶものでした。しかし最近のケータイ用ゲームやソーシャルゲームは、わずかな時間ごとに遊べるように、システムが設計されています。おかげで親は遊んでいる時間を把握しにくいし、本人も「遊んだ」という感覚が得にくくなっています。

私たちの日々の生活の中には微妙に手持ちぶさたな「スキマ時間」があります。 例えば毎日の移動時に10分ぐらいのスキマ時間があってソーシャルゲームを始める。すると、ついつい15分ぐらいの時間を使ってしまう。

また1、2分ぐらいの他のスキマ時間にもゲームをするようになり、だんだん時間が奪われていきます。奪われていく時間は、友達と軽い挨拶をする時間や、家族とちょっとした会話をする時間や、直前の出来事を反芻して記憶に焼き付ける時間だったはずのものです。

ちょうど小さいスキマにくさびを打ち込んで亀裂を広げていくように、「スキマ時間のゲーム」は「まとまった時間」を破壊していきます。これは理屈として難しいところは全くないんですが、問題は本人の感覚です。「ちょっとした時間にちょっとやるだけ」のつもりで、実は積算してみると莫大な時間を使ってしまっているものです。

「サンクコスト」を考える難しさ

「サンクコスト(埋没費用)」とは、その時点で手を引いても回収できないコストのことで、回収できないから……と手をひくことができずにいることで、さらなる損をしてしまうことに繋がります。

よく例として紹介されるものには「つまらない映画のチケットを1800円で買ってしまったとき、映画を観ることをやめてもチケット代は回収できない。しかし、チケット代がもったいなからと思ってつまらない映画を観ると、1800円に加えて2時間の時間を失ってしまう」というものがあります。似たような経験を持つ人は多いと思います。

サンクコストの難しさは、概念や理論の難しさではありません。感情をおさめることの難しさです。

ソーシャルゲームの場合、無課金のユーザーに対しては毎日コツコツと遊ばせ、積み上げた月日をサンクコスト(的なもの)にします。課金ユーザーにとっては、投入したお金がまさにサンクコストです。

アタマを使い、時間をかけ、課金アイテムとして販売されているものを使ったことで、もしこれで倒せなかったときを想像すると、すごく損した気分になるだろうなあ、、、と思いました。キングを倒せなかったときは何も残りません。
ですが一旦立ち止まって考えてみると、「これって本当はサンクコスト(埋没費用)で、分けて考えないといけないよなあ」と思いました。
GREEの探検ドリランドで強烈なサンクコスト体験をした : akiyan.com

積み上げてきた時間や手間がサンクコスト化することについて、陸上の為末選手が語っていました。

10年続けたんだからこの種目を続けたい、と思う選手もサンクコストで見ると過去に縛られている。続ける理由はやってきたからではなくて、見込みがあるからもしくはやりたいからであるべきで、続けたとしても10年間が返ってくる訳ではなくて、今から考えてどちらに進むべきか
為末、競技においてのサンクコスト、を語る - Togetter

余談になりますが、ここで「継続は力なり」の「継続」と、サンクコストの違いは何か? という疑問が出てくるかもしれません。継続によって自分の資産が積み上がっていればその継続には意味があり、そうでなくコストばかりがかさむようなら、それは切るべきでしょう。

もっともその見極めは難しく、手形だと思っていたら借用書だった、みたいなのもよくある話で……。先日「スヌーピーストリート」というiPhoneアプリのゲームをやめたと書きましたが、1カ月ほど遊んでいた上に850円課金していたので、アンインストールするときには若干の迷いがありました。

ゲーム内での経験値やお金や人間関係は資産か? 資産だとして投入したコストに見合うものか? 当事者になってみると冷静に判断するのは意外と難しいものです。

金銭的利害を含む複雑な人間関係に絡み取られる厄介さ

ソーシャルゲームが「ソーシャルゲーム」と呼ばれるゆえんは、人間関係、ユーザーのネットワークの力を巧みに取り込むところにあります。例えば、友達を誘って登録させたユーザーにはアイテムをあげるとか、仲間同士でギルド的なグループを作らせて他のグループと対抗させ、抜けにくくするとか、あれやこれや。

最近ではそこにお金の要素が絡むわけで、仲間のために金を使ったりとかそういう面倒臭い関係に、知らず知らずの間に絡め取られていくわけです。そんな関係も、ゲームの中だけのつながりであれば、ぶっちぎって逃げることもできるかもしれません。しかしクラスメイトと「団体競技的なプレッシャー×金銭×金や時間のサンクコスト」が絡み合った関係になったとすると……想像するだけで恐ろしいです。

電子決済で少額を少しずつ支払うことの危険性

大人でも、「カード払いだと金額にリアリティが感じられず使いすぎてしまう」という人はいます。それが子どもで、しかも1回あたりは抵抗感の低い少額を、操作的にも簡単に支払えるのだとしたら、そりゃ歯止めも効かなくなるでしょう。

このあたり勉強不足でよく知らないのですが、現金でない電子決済だと使いすぎてしまう心理に、何か名前が付いているかもしれません。それ+ゲーム内人間関係の圧力やらヒーロー願望とか、巧妙な金額設定とか諸々の相乗効果の破壊力は、相当なものだと考えられます。

全ては加減の問題だけど、絶望的なまでに加減を教えにくい

以上のことは、全て「要は加減の問題です」ということで(何の解決にもなりませんが)片付けられる話でもあります。

テレビゲームだってコミュニケーションを媒介するものであり、お金もかかるものだったし、トラブルもありました。ネットの「ソーシャル」要素に慣れることも必要ですし、自分で稼いでいない子どものうちに経験する意味はないと考えていますが、お金での失敗を経験することだって「加減」を知るためには意味があるでしょう。ただ、ソーシャルゲームはこの「加減」を絶望的なまでに教えにくい。

上記のような理論を教えることはできます。しかし、何度も述べたように問題は理論よりも感情の「わかっちゃいるけどやめられない」レベルの、人間のもともと弱いところにあるもので、大人にも難しいような高度な感情のコントロールを子どもに求めるのは無茶でしょう。

ソーシャルゲームのビジネスモデルは「加減」を忘れさせて金を払わせることで成立していると認識していますし、サンクコストの問題は非常に難しく、そんな高いハードルを置く必要はないと思えます。

それに、仮にうちの子がうまい具合の加減を身につけたとしても、加減ができない子とのコミュニケーションもしないといけないでしょう。学校に通う子にとって付き合う友達を選ぶことは難しく、その関係が必要以上にこじれそうなものは、おすすめしたくありません。

昨今ソーシャルゲームの「コンプガチャ」の違法性が特に問題視されていますが、以上のことは、それより手前にある、さすがに違法とはならないだろうというレベルの問題です。

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