「ルサンチマン」からのネットとリアル考  

ふと花沢健吾「ルサンチマン」を読み返していました。2004〜2005年の作品で、MMORPG的な世界観を発展させた「アンリアル」というインターネットの仮想世界サービスが舞台となる作品です。

2012年のインターネットと世界観はかなり異なりますが、ネットでの身の処し方とか「(現実の)自分でない自分になりたい気持ち」との折り合いの付け方とか、今でもおもしろく読める要素の多い作品です。

アンリアルの風俗店におっさんのアバターの小学生がやってきて門前払いをくらう、といった場面があるのですが、このあたりは先般のアメーバピグ規制問題に通じるものがあるように思えました。

「喰える」アメーバピグに大正義軍団警察様が突入の模様: やまもといちろうBLOG(ブログ)

ところで、人の性として自分を大きく見せたいという欲求は誰にでもあるそうで、Facebookなんかでも、自分のことを実際よりもよく書く人が多い、という話を聞きます。

「ルサンチマン」での興味深いテーマの1つは、仮想世界で「自分をよく見せたい」とか「現実の自分よりもいい自分になりたい」、別の言い方をすれば「現実とは違う存在になって違う人生を生きたい」といった欲求の行き着く先に何があるのか? というところだと思います。

主人公のたくろーは若い頃の自分になり、友人の越後は、まったく自分とは違う外見を作りました。さらに、外見だけでなく人格や経歴まで作り変えたキャラクターも登場します。

Facebookで自分を「盛る」ような行為を含め、どれが厄介なのか……とちょっと考えましたが、五十歩百歩であり、どれが病的でどれがマトモか、などと考えてもたいした意味はないか、と結論しました。

作中「自分をよく見せようとする必要はない。ありのままの方がいい」といった話もされます。誰もが最初からそう考えられるとも思えませんが、確かに気負うものが何もなくなってくると、その通りだなと思います。

おそらく、どういう形にせよ自分をよく見せようとするのは、他人を引きずり下ろそうとするよりはいいことで、本作を深読みするならば、現実ではルサンチマンまみれでもアンリアルにおいてはとりあえずそれを捨てて行動できた越後やたくろーと、現実でもアンリアルでもルサンチマンに基づいた行動しかできなかった「第9帝国」と呼ばれるグループの面々とで、それぞれどういう結末に行き着いたのか、というあたりがひとつの示唆になるのかもしれません。

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