“二次的な声の文化”に生きる。書評「声の文化と文字の文化(ウォルター・J・オング)」  

何度となく紹介している「声の文化と文字の文化」ですが、ここで書評的なものを書いておきたいと思います。

声の文化と文字の文化

インターネットのない時代から、ここ20年近くの変化を社会人として体験してきた30台以上の世代には、コミュニケーションの大幅な変化に戸惑いを感じたり、今後の変化に興味を持ったりしている人も多いのではないかと思います。

例えば、なぜメールは手紙よりも口語的に書いたな方が(一般的に)いいのか? ブログとTwitterやFacebookなど最近のSNSではスピード感が違うけど、その中で人の話し(書き)方や受け止め方、考え方はどのように変化するのか? といったことを考えるための重要な材料が、本書から得られます。

本書は文字を持たない民族や、文字を使わず口承で物語りを語り継いでいる人たちを研究した「声の文化」から、文字が生まれての「文字の文化」、そして印刷技術や電子技術の登場による変化までをカバーし、その中で情報伝達の形や人の考え方はどのように変わったかのかを解説します。

とはいえ、生まれながらにして印刷技術が普及した「文字の文化」で暮らする私たちには、「声の文化」の姿を想像することが困難です。だからこそ「声の文化」と「文字の文化」にはまだ研究されていないことが多くあり、まず「声の文化」の理解しがたさを知ることから始まると、著者は説いています。

原書は1982年の発行なので、インターネットについて、ましてや今日のSNSの類についての深い言及はありません。しかし5章の最後のほうに「エレクトロニクス(ネットやコンピューターよりも、テレビやラジオを主に意識して書かれています)」として触れられているITによる新たな文化への言及には、実は著者はTwitterも見ているのでは? と思わされるような内容がありました。

インターネット、そしてTwitterやFacebookなどの「リアルタイムストリーム」の存在感が大きい今の時代は一部「声の文化」に回帰しつつある「文字の文化」なのでは? といった予想をしつつ読んでいたのですが、著者はこれを「二次的な声の文化」であるとまとめています。

※追記:「二次的な声の文化」は主にテレビやラジオなど音声メディアを指してして言っています。が、現代においてはTwitterなどのリアルタイムにテキストメッセージを交換するメディアも、これに類すると考えてよいものになっていると考えました。

人々が孤立せずに参加し、共有的な感覚をはぐくみ、瞬間を重んじ「さらには、きまり文句を用いさえするのである(p.279)」のは「声の文化」的である。しかし、原初的な声の文化しか持ち得ないためのその姿ではなく、「文字の文化」の思考力を取り込んだ結果の選択としての姿であり、またエレクトロニクス技術の利用より、かつての「声の文化」では考えられない規模の参加や共有が行われる、といったことが述べられています。

なお、本書をこれから手に取られる方は、最後の「訳者あとがき」から読むことを強くおすすめします。

この部分が本書の見事な要約になっていて、若干冗長な部分もある(特に「物語」についての言及は、ITから関心を持った読者にはあまり興味をひかれない部分です)本書をリズミカルに読み進めるためのガイドラインを提供してくれます。私は最後に読みましたが、全体の流れの整理に役立ちました。

関連記事:

ネットで意識したい「話し言葉」と「書き言葉」の違い(「声の文化と文字の文化」から)

「声の文化と文字の文化」で考える、Twitter「声の文化」説
3章までを読んだところ

どんな発明よりも「書く」ことが人間の意識を変えた(「声の文化と文字の文化」4章から)
4章を読んだところ

  • 次の記事 »
  • « 前の記事