「声の文化と文字の文化」で考える、Twitter「声の文化」説
「声の文化と文字の文化」で、話し言葉と書き言葉の違いを探るぞ!の続き。話し言葉と書き言葉の発され方とか、文脈のつながり方とかに違いがあるのでは……などと思って買ったのですが、この本のテーマはもっと根本的な、文字を持たない文化と文字を持つ文化の違いを探るものでした(タイトルの通りですが)。これはこれで非常に興味深い内容です。
本書1章で、文字の文化を知る我々が声の文化を理解することは難しい。それは、言ってみれば「馬」を見たことのない人が「車輪なし自動車」として理解するようなものだ(初期の自動車が「馬なし馬車」として売り込まれたという逸話の裏返しでしょう)といった話がされます。なので覚悟を決めて読み進めます。
実際に私自身、読んでいてピンと来ないところも多いのですが、文字を持たない「声の文化」の特性についておもしろい記述がいろいろあるので、第3章までを、かなり端折りつつまとめてみたいと思います。
記憶のしかた、記憶の引き出し方が違う
声の文化では、伝えたり記憶したりするために、決まり文句、リズム、押韻などを重視する。私たちが文字を使って行うような長い思考を、ただ行うことはできない。仮にできたとしても、その後二度と思い出せない。
声は「力」である
声の文化において声は「力」である(力がないと発声できないため)。魔術的なものであり、「名前がモノに命を吹き込む」というような考えを持つ。言葉は単なる記号ではない。
「声の文化」における9つの特長
1.累加的
小学生の「そして〜そして〜」で続く作文のごとく連ねて語られる。複雑な構文はない
2.(形容が)累積的
王女ではなく「美しい王女」、敵ではなく「人民の敵」。「低技術水準で、発展途上の多くの文化において政治告発に用いられる陳腐な常套句」は、声の文化の決まり文句が多い体質にちなむと述べている。
3.冗長
話し言葉のように筋は通っていない。思考内容を逐次声にするような感じ。
4.保守的
習得したことは繰り返し声にしていないと忘れてしまう。知を溜め込んだ老人に価値がある。
5.生活世界への密着
概念化されない。作業に対するマニュアルのようなものはなく、例えば航海の手順は、何をするかが物語の一節として語り継がれている。
6.闘技的
なぞなぞはそのまま知的な戦いであり、口頭伝承の物語では、文字にすると驚くほど暴力的な描写が多い。これは累積的な賛辞との裏表か?
7.感情移入的
語られる対象に対して密接。書くことほど客観的でない。
8.恒常性維持的
「現在」と関係のないできごとを捨て去る。現状に合わせて伝承が作り替えられることもある。言葉の「定義」のようなものには無関心。目の前にあるものを呼ぶために言葉がある。
9.状況依存的
抽象化されない。例えば「ハンマー、のこぎり、丸太、手おの」という4つの絵を見せ、1つの仲間外れを探すような問いをしたとき、文字を知らない人は「道具」というカテゴライズをせず、丸太をのこぎりでひくか、手おのでたたき割るか、といった状況についての話をする。これは、少し文字を学ぶと変わる。抽象化した思考が可能になる。
「文字の文化」の基準で測ってはいけない
こうして見ていくと、「声の文化」とは知的水準が低い文化のように感じられるが、そうではない。我々のいう知的水準とは、文字と印刷技術の存在を前提に定められたものであって、それが普遍的なわけではない。声の文化において知的であるとは、目の前の状況に対していかに判断・行動ができるか、という基準による。
Twitterは「声の文化」への回帰か?
ここまで読んで、「Twitterは『声の文化』化を狙ったものではないか?」という仮説を立ててみたいという誘惑に駆られます。
「文字の文化」とは、世界を文字により抽象化、概念化し、長い文脈と俯瞰的な視野によって見通し、思考する文化だと考えられます。しかし情報が増えすぎて溢れ出し、十分に情報が整理されなくなってしまったとしたら「文字の文化」は機能しなくなるかもしれません。
例えば文字の文化圏の人で「知的水準が低い」人というのは、「文字」を十分に活用することをせず、声の文化的であると考えてもいいのかもしれません(この段落余談)。
で、Twitterとは「文字の文化」のアーカイブ性を拒否し、「なう」による恒常性維持的(後先のことは置いといて)、状況依存的(目の前のことが大切)なコミュニケーションに集中させることで、いい意味での「声の文化」的な何かへの回帰を狙ったサービスであると見ることも可能なように思えます。
例えば、かつて流出したTwitterの内部文書に書かれていたという言葉、
ちなみにこの会議で共同ファウンダーのStoneはTwitterの本質について触れ、「〔新しい情報の〕速報システムというより、むしろ〔複雑にネットワークされた〕神経系と考えたい」と発言している
Twitter秘密文書公開―「地球の鼓動を伝えるプラットフォームを目指す」
(「文字の文化」的な)情報システムというよりも、世界規模のネットワークインフラ上で「声の文化」をやりたいぜ、という解釈は、さほど無理がないように思えます。
連続ツイートやリプライの応酬による累加的発言、逐次ツイートすることによる冗長性、生活世界への密着という点もそう。Twitterでのケンカは短いセンテンスに攻撃力を詰め込もうとするため、過剰に暴力的になるかもしれません。保守的かどうかはわからない。感情移入的ではあるかもしれない。
実際のところ、この本は1回読んだくらいではよくわからない、まだまさに「タイヤなし自動車」何となく理解しようとしている感じだなあ、というところなのですが、そんなことをモヤモヤと考えたので今のうちに書いておきます。
関連記事:
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