Winny無罪確定と「ネット・バカ」。そしてメディア論  

今読んでいるニコラス・G・カー「ネット・バカ」に興味深い一文が紹介されていました。

「われわれは、テクノロジーを用いる人々の罪について、テクノロジーという道具をスケープゴートにしてしまいがちであります。近代科学の産物は、それ自体よいものでも悪いものでもありません。それらの価値を決定するのは、使用方法なのです」(「ネット・バカ」P.12より)

なんと、カーはこの本でWinnyについても書いているんですねー……と思う人もいるんじゃないかと思ってこの部分だけ引用してみましたが、そうではありません。

この、Winnyの擁護意見によく似た発言は、「メディア王」とも呼ばれたデイヴィッド・サーノフ(ラジオやテレビを普及させた人物)の言葉を、批評家のマーシャル・マクルーハン(「メディアはメッセージである」という言葉で知られる)が「メディア論」にて引用しているものを、さらにカーが引用したものです。つまり「テクノロジーはよいものでも悪いものでもない」というのはラジオやテレビを指しており、「メディア論」は1964年発売ですから、それ以前に発せられた言葉です。

マクルーハンもカーも、上記のサーノフの言葉には否定的です。「マクルーハンはこの考えを冷笑し、サーノフは『現代夢遊病者の声』で語っている」とたしなめた」とあります。またカー自身の言葉としては、先述の引用にあたって「デイヴィッド・サーノフの自己中心的な発言を、マクルーハンは引用している」という紹介のしかたをしています。

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること
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「ネット・バカ」はまだほんの少ししか読んでいませんが、ネットというメディアそのものが人を変える、という主張を核にしたものであるようです。ネットに耽溺していると長文を読んだりじっくり考えたりができなくなる、という主張を359もノンブルが打ってあるこの分厚い本で展開するのだとしたら、どういう自己矛盾的展開(ターゲット的に)なのだろうと思っているところなのですが……。

アーキテクチャが行動を規定する

Winny裁判についての個人的な感想を簡単に書いておこうと思います。。ソフトウェア(技術)自体が「悪用可能である」という理由で有罪になる、なんてことはあってはならないし、開発者の金子氏が仮に悪意から開発したのだとしても、その意図・意志を罪であるとすることは神ならぬ人間には不可能であり、無罪判決は妥当だと考えます。

が、逮捕当時によく言われたこととして「(開発者である)金子氏の挑発的な言動が警察の心証を悪くした」というようなことがあったと記憶していて、なんといいますか、キジも鳴かずば撃たれまい、という話なのではないかと思います。

で、このWinnyの件には、罪には当たらないものの別の問題があると考えています。それは、まさに「メディアはメッセージである」という点です。テレビというメディアが、そのメディアで放送される内容ではなく「テレビ」そのものの力で私たちの生活を変えてきたように、「高い匿名性でファイル交換できるソフト」の存在自体がユーザーの行動を変えた、ということはあるはずです。

しかし、それだけが理由で罪に問われるならば、2ちゃんねるからmixiやGREEまで、全国のコミュニティサービス・ソーシャルなんとかサービスの提供者すべてが罪に問われかねず、というかその前にテレビやゲームやアニメやマンガが絶滅することになりかねず、よくある話で(犯罪に使われる可能性があるという理由から)刃物店も商売できなくなり、それはさすがにあり得ません。

しかし、マクルーハンが冷笑しカーが「自己中心的」と述べるようなものが、Winnyにはあると思えてなりません。もしかすると、それは単に「旧来の常識や倫理観になじまない」というだけのことかもしれません。でも、ひょっとすると、熱湯が入ったお湯の上に乗って「押すなよ! 絶対押すなよ!」と言うような、のび太くんがさらに堕落するような道具を与えて「あまり使いすぎないでよ」的な注意をするような、犯罪じゃないけど死の商人みたいなものではないか、みたいな。

Web2.0ブームのころ、SNSの初期に「アーキテクチャが行動を規定する」というようなことが語られました。SNSのシステムやUIによって、その中でのユーザーのコミュニケーションの形は決まる、という話です。「アーキテクチャの生態系」は未読ですが、そういった内容が書かれている、はず。

アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか
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技術そのものは中立的な存在であり、よくも悪くもない、という点はもちろん主張しつつ、一方で「『できてしまう』ものは『やってしまう』人を生む」ということも、厳しく認識するべきではないか、それは広い意味でのIT業界を守ることにつながるのではないか、と思うのです。

「できてしまう」ことは止められない

私の好きなブログの記事に「アンカテ」の「Gマシーンの目覚め」という記事があります。Googleマップのストリートビューが国内で開始され、いろいろと問題が指摘されていたころに書かれた記事です。

Gマシーンは、地球上の公的領域にあるものを全てスキャンし、私的領域にあるものを全てクランチするまで止まらない。スキャンされるかクランチされるかを選ぶ権利は人類に残されている。でも、それ以外に人類に望めることはもうないだろう。
Gマシーンの目覚め - アンカテ

告知なしでの撮影や、画像中でののプライバシーの侵害などが指摘され、サービスをやめろとか、うちの自治体の分は消せとかいった意見も飛び交う中で、「できてしまう」ことが知られた技術は、もう止められない。仮にGoogleが止めても他社がやることになるだろう、としています。これはWinnyも、また出会い系も、その他もろもろのヤバいやつも、同じだと思うんですね。

アーキテクチャ、またはメッセージとしての小さなメディアについて、もっと論じられていいのではないか

「違法行為に使える道具」自体が違法なわけではない。だけど実際問題として、ユーザーが違法行為で次々と逮捕されることについてはどう思うものなんでしょうか。Webサービスにおいては、サービス内で事件がバンバン起きるのはさすがに困るよということで個々のサービスが監視等をしたり、警察に突っ込まれる前に業界団体で何かやろうとしたりしていますが(評判はよろしくないですが)。

2011年のNHKが発表したところによると児童犯罪に巻き込まれた原因の6割が「健全」と当機構に認定されたサイトによるものであったと報じた。そのため警視庁は監視を強化するように呼びかけている
モバイルコンテンツ審査・運用監視機構 - Wikipedia

警察庁:コミュニティサイトに起因する自動被害の事犯に関わる調査結果(平成23年上半期)(PDF)

ストリートビューへの指摘を受けたGoogleは、撮影カメラの位置を低くして塀を越えて家の中が写らないようにする、車のナンバーや人の顔などを強くぼかす、などの対策を取り、現在ストリートビューは広く受け入れられています。つまりアーキテクチャを変えて、悪用できてしまわない(露骨な悪用ができない)ようにしたわけです。

コンピューターやインターネットが普及する前、新しいメディアを作ることができたのは、ごく少数の人に限られたはずです。それこそサーノフのような。しかし今は、誰かがちょっとしたアイデアで小さな新しいメディアやサービスやソフトを作り、人の行動を変えてしまうことができる。そして、その変化を、ほとんどの人は理解していない。だから、メディア(中立なもの)とメッセージ(意図を持ったもの。人を動かすもの)の違いがよくわからず、メディアの開発者を逮捕してしまう。

一方で、「メディアは中立である」と理解できるリテラシーの高い人は、その前提が分かるからこそリテラシーの低い人には「メディアはメッセージである」という混乱した認識が行われることに、共感できないのではないでしょうか。

流行の(?)Webサービスやソフトにおいて問題が発生するのは、問題ユーザーのリテラシー不足、教育の不足が原因であると片付けられることが多いと思います。しかし、リテラシーの高い人(開発者や、問題が起きたときの批判者側に多いはず)がちょっと発想を変え、リテラシーの低い人への共感を元にアーキテクチャを考えてみることで、別の解決策が見つかることも多いのではないかと思えてなりません。

Winnyを匿名では使えない超健全な設計にすることも可能だったと思いますし(それは誰にも歓迎されなかったと思いますが)、昨今よくあるソーシャルメディア炎上事件などは、公開範囲ごとに投稿フォームのデザインの変える(例えばサービス共通で、Web全体に公開される場合のフォームは赤、許可した友達だけなら青にする、というような)とか、投稿内容のキーワードを拾って分かりやすい炎上原因ワードにアラートを出すとかで大部分防止できると思います。そういうつまらない機能を着々と実装していくことで、現在ITに無理解な人たちの理解を徐々に得ていくことができるのではないかと思うのですが。

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