Twitterと遍在する悪意  

もう先々週の話になりますが、息子の運動会などがあって、疲れのあまり、1日以上まったくネットを見られずにいました。で、その後36時間ぶりぐらいにアクセスし、HootsuiteでTwitterを眺めたら、妙に不気味な印象を受けました。タイムラインにポコポコと、何の予兆もなく強烈な批判、怨嗟、中傷などの悪意の籠もったツイートが浮き上がる感じがあって。

おそらく、いつもはこういうツイートが流れてきても適当に流していたのだと思うのですが、ちょっとモードが違うときに見ると、ぜんぜん印象が違うものだなと驚きました。

で、考えたこと。

Twitterにおいて、悪意は遍在している

これはTwitterが大きなプラットフォームになり、「コミュニティ」というよりは「ソサイエティ」と捉えるべき多様性を持っている、ということだと思うのですが、多様なツイートの中に、悪意や諸々のマイナスの感情を含むツイートも遍在している感じがしました。

「コミュニティ」で考えれば、例えば「ここは2ちゃんねるの○○板だから基本的にあんな感じ」とか「このサイトの連中はあれだから…」みたいな感覚で心の準備もある程度できたし、サイトのデザインからして油断ならない感じであったりもしたと思うのですが、Twitterではそういうものがありません。

もっとも、フォロー数が少なければ、思わぬ負のエネルギーを持った言葉に出くわすような確率も高くないわけですが、数百人とかフォローして、しかも震災前や何年も前からのユーザーをフォローしていると、数が多い上に人の考えやTwitterへのスタンスも変わっていくもので、いろいろあるね……という感じなっていきます。

一方で、善意は基本的には関係性の上とか、文脈の繋がった先にしかないのだと思います。「おもしろ」とか「いい話」はこれまたランダムにあちこちに流れていますが。

リアル社会とのギャップ

この違和感を持ったのは、息子の幼稚園の運動会に参加していたことも関係していたかもしれません。というのも、幼稚園の子たちの保護者にはいろんな人がいますが、スマートで都会的な格好の一家もあれば、全員ヤンキー風のジャージ上下という一族がいたり、いかにも下町のとーちゃんかーちゃんと和服のおばあちゃんがいたりと、なんとなく「こういう人だな」というのは会話をする前に分かります。

実際に話してみると感じが違うこともままありますが、それにしても心の準備はできるし、さらに言えば、基本的には幼稚園児を持つ家族という共通点を持つコミュニティの中で、一定の信頼感と共感を下敷きにコミュニケーションできる(だろう)、という感じがあります。

でもTwitterだと、こういう準備はほとんどできないですね。ある程度見知った人や、アイコンやプロフィールから人となりがうかがえる人はいても、実のところ1000人超のフォローしている人のうち、「こういう人」と認識できている人はせいぜい100〜200人ぐらいな気がするし、公式RTによってまったく知らない人が続々とTLに現れると、もう何がなんだか……。

けっこう、無意識のうちに自分はTwitterの見方を何らかの形で最適化しているのではないか、と思いました。1、2時間もTLを眺めていたらまた慣れてしまったので、よく分析できていないのですが。

空間のために 遍在化するスラム的世界のなかで
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