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毎日新聞「この国と原発」第2部、空気を読む(?)司法の歴史「司法の限界」  

毎日新聞社のサイト「毎日jp」で、「この国と原発」第2部が掲載されています。タイトルは「司法の限界」。全国の住民による原発への訴訟が棄却され続けてきた歴史を、その判断に関わってきた裁判官の言葉と共に追います。

すでに1カ月の掲載期間を過ぎて消えてしまっている記事が多いですが、第1部「翻弄される自治体」(参照:毎日新聞の特集「この国と原発」は消える前に読んでおいたほうがいいと思う)も合わせてどうぞ。

記事では、かつて原発裁判にかかわった元裁判官36人に取材を依頼し、10人から応じてもらったとのこと。その内容には、司法の独立はどうなってるのか!? とひと突っ込みしたくなりました。

00年に確定した同(引用者注:福島第2原発)3号機訴訟の2審に関わった鬼頭季郎弁護士は「一度原発を止めればすごくコストがかかるので、簡単に止めろなどと言えない。原発推進の社会的・政治的要請の中で、司法が足を引っ張るような判断ができるのか」と漏らした。
この国と原発:「司法判断は困難」 元担当裁判官10人、心情吐露「国会で議論を」 - 毎日jp(毎日新聞)

もっとも、こうしたことはまさに司法権の及ばない問題なのかもしれません。私もよく分かりませんが、統治行為論というものに近いという考えもできるのかもしれません(もっとも、実際には統治行為論という判断はせず裁判をしているわけですが)。上記記事では、元最高裁判事のコメントとして「これだけ難しい問題は、まず国会や行政手続き段階で国民が納得できるような議論を十分にすべきだ」というものも紹介されています。

福島第2原発周辺住民の訴訟。当時の裁判官は「原発は推進するほかない」と述べ住民の訴えを棄却。

2審の仙台高裁判決(90年3月)も住民側の控訴を棄却。「結局、原発は推進するほかない」と述べた。左陪席裁判官として判決にかかわった木原幹郎弁護士(72)は「電力需要を考慮し、技術力を上げて安全性を高めてほしいという趣旨だった」と吐露する。上告審でも判断は覆らず、92年10月、住民側の敗訴が確定した。
この国と原発:第2部・司法の限界/1 退けられた訴え、現実に - 毎日jp(毎日新聞)

1970年代から全国で行われてきた住民訴訟。世論を反映して見方が厳しくなったり、耐震性を問題視して住民側が勝訴したわずかな事例があるものの、基本的にはこれまで重大事故を起こしていない原発を、ある程度以上に危険だと判断することはなかった。

「大規模な事故が起きていない」という事実の前に、司法の場で事故が実際に起きうることを想定した議論が尽くされないまま、「想定外」の東日本大震災は発生した。
この国と原発:第2部・司法の限界 周辺住民、敗訴重ねた40年 - 毎日jp(毎日新聞)

もんじゅ事故後のもんじゅ設置許可無効確認訴訟は、地裁、高裁で住民側が勝訴しながら最高裁で敗訴。当時の最高裁の裁判官は全員取材拒否。原告事務局長は「国策に沿った政治判決。何のための三権分立なのか」と批判する。

また、重大事故の発生が、原発に厳しい判決を引き出したという経緯があることを確認。「司法は何か起きてからでないと、思い切った判断は出せない」。

両訴訟に共通するのは、現実に起きた事故や地震が住民側勝訴を引き出した点だ。志賀原発の訴訟で原告団長を務めた堂下健一さん(56)=石川県志賀町=は言う。「今なら裁判所も原発が安全とは言えないだろう。結局、司法は何か起きてからでないと、思い切った判断は出せない」
この国と原発:第2部・司法の限界/3 覆した住民2勝 - 毎日jp(毎日新聞)

現在抗争中の浜岡原発差し止め訴訟では、原発事故後、高裁の態度があからさまに変化。2011年7月6日の口頭弁論において、裁判長は「安全性が立証できなければ、(原発は)止めるということが当たり前」と発言したとのこと。

事故後は専門家の意見も揺れている。班目氏は3月22日の参院予算委員会で、浜岡原発訴訟での証言について問われ、「割り切り方が正しくなかったことを十分反省している。抜本的な見直しがなされなければならない」と述べた。徳山、伯野両氏は毎日新聞の取材に「原発の審査では津波が弱いという気がしている」「ああいう事態になった以上は、もっと丈夫なものを造るしかない」とそれぞれ話した。想定外の被害が専門家の認識をも変えた。
この国と原発:第2部・司法の限界/4 震災で態度一変 - 毎日jp(毎日新聞)

国内初の原発訴訟は、1973年の伊方原発1号機設置許可取り消し訴訟。当時の資料は立教大学で閲覧できるとのこと。

科学や法律の知識に乏しい住民たちには、未知の裁判で展開された双方の主張が、どこか地に足のつかないものに見えた。原告の漁業、谷本功さん(66)=八幡浜市=は「実際に事故が起きておらず、(危険性を)証明するものがなかった」と振り返る。論争は、事故が「起きる」「起きない」の水掛け論のようにも映った。
この国と原発:第2部・司法の限界/5 国内初の本格訴訟 - 毎日jp(毎日新聞)

今後の裁判について。高浜原発訴訟を担当した当時の裁判長が、当時の危険への認識の甘さを告白したと取れるコメントを寄せています。勇気のいる発言だったのではないかと思いました。

福島第1原発1号機では東日本大震災発生からわずか16時間で、炉心の核燃料の大部分が溶融したとみられている。高浜原発訴訟で争われた内容とは異質だが、海保弁護士は「原発事故の影響の大きさは観念的には分かっていたが……。原発がここまでもろいとは思わなかった」と衝撃を隠さない。
この国と原発:第2部・司法の限界/6止 訴訟どう変わる - 毎日jp(毎日新聞)

「何か本当にトラブルが起こらないと危険寄りの判断はできない」というのは、おそらく原発に限ったことではないと思います。そういう意味では、海外の重大事故を参考にできなかったことは痛かった。もっとも、地震と津波が原因となる事故については、結局のところスリーマイルもチェルノブイリも参考にできなかったのかもしれませんが。

福島の原発事故が起こって、今後は判断が厳しくなるだろうとされています。震災後に起こされた原発関連の訴訟は「少なくとも20件以上に上る」とも書かれています。

しかし、実際に裁判所が厳しい判断をするとしたら、前例として事故が起きたから、ということもあるでしょうが、同じくらいの重さで、国民/地域住民の多くが原発事故の危険性に注目し、憂慮し、厳しい判断を求めている、ということが裁判官の背中を押すことにもなるのではないでしょうか。「国策だから」と妙に空気を読んだ司法判断をしている感じが気になりましたが、主権者たる国民が明確に方向転換を求めることで、止めることも可能なわけで。

反対に言えば、注目されなくなってしまえば「福島第1は特殊な例」という話がまかり通るような可能性もあるのでしょう。まずは関心を切らないことが最低限必要ですね、と改めて。

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