「ソーシャルメディア」の“心構え”とか“新常識”といったものについて  

「ソーシャルメディア」での心構え、他者のプライバシーへの言及について、議論が起こっています。 最近、ソーシャルメディア界隈でトラブルが多いので個人的に気をつけている(&他の人にも気をつけて欲しい)ことでも書いてみます。 ソーシャルメディアでつぶやく前に注意したいこと・・...

「ソーシャルメディア」での心構え、他者のプライバシーへの言及について、議論が起こっています。

最近、ソーシャルメディア界隈でトラブルが多いので個人的に気をつけている(&他の人にも気をつけて欲しい)ことでも書いてみます。
ソーシャルメディアでつぶやく前に注意したいこと・・・ | IDEA*IDEA

IDEA*IDEAの田口さんは、極力柔らかい書き方になるよう気を遣って、軽く受け取れる表現にされているとのだと思います。最初に読んだときには「ネットに何でも書かれてしまう、情報を隠しきることが難しくなっている」ことを前提とした自衛の方が有用なのではないかと思ったのですが、書いてしまう側に対して、気をつけようという話をサラッと提示する、ということも意義があるのだなと思い直しました。

その違和感とは何か?これを書いている田口さんは自分のほうが常識だと思っていて、それを読者(というか、周りの人)に伝えたくて書いていると思うんですが、そもそもその常識って古い常識じゃないか?ということです。
ほとんどがオープンになるソーシャルメディアの時代での心構え - ロケスタ社長日記 @kensuu

そして、そこに突っ込む意見が出され、

よく読めばわかるんだけど、2つのエントリーとも「ソーシャルメディア時代はいろんなことが否が応でもオープンになってしまうことがある」というのは暗に認めている。前者である田口さんはもう明らかにそういうスタンスなわけですが、けんすうもTwitter見る限り「そういう時代なのは仕方ないからあきらめている」というだけであって、「こんな時代なんだからなんでもオープン!」と言っているわけではないわけですよね。
ソーシャルメディア時代の心構えはいかにあるべきか - カイ士伝

間をつなぐ見解が出される。今ここ。

「できる(技術的に可能な)」ことを止めるのは困難

「情報を隠しきることが困難になっている」というのは、情報技術が高度に発達した結果の社会全体の変化です。ネットにおいてはウィキリークスのような存在もあります。

そうした中で「ソーシャルメディア時代」だけの話にするのは、問題を卑小化しているようにも感じました。が、「世間話ついでについポロッと周囲の人のプライバシーを侵害してしまう」という点に注目するならば、まさしく「ソーシャルメディア時代」ならではの問題と言えるかもしれません。

「ストリートビュー時代」とでも言うべき時代に、類似の問題について書かれた記事があります。

ここに書いた通りになってきてると思うけど、やはりグーグルは、公的領域にあるものは全てスキャンし、私的領域にあるものは全てクランチしようとしている。
そして、この勢いは、グーグルの経営陣にもコントロールできない。これを制限しようとしたら人材が流出し、別の会社が同じことをする。だって、これをすればすごく儲かるんだから。公的領域にあるものを全てスキャンし、私的領域にあるものを全てクランチし、両者を掛け合わせて広告を出せば儲かるってことを、世界がもう知ってしまった。
Gマシーンの目覚め - アンカテ

「公的領域にあるものは全てスキャンし、私的領域にあるものは全てクランチ」するシステムを「Gマシーン」と呼んでいます。そして「Gマシーン」は必ずしもGoogleのものとは限らず、仮にGoogleがそれを止めたとしたら、他の会社が同じことをする。「できてしまう」ことを人類が知ってしまった以上、それを止めることはできない。そして、

Gマシーンは、地球上の公的領域にあるものを全てスキャンし、私的領域にあるものを全てクランチするまで止まらない。スキャンされるかクランチされるかを選ぶ権利は人類に残されている。でも、それ以外に人類に望めることはもうないだろう。

という話です。先の話題における「ソーシャルメディア」も、公的領域をスキャンしたり私的領域をクランチする機構(の一部)と捉えられるでしょう。このあたりの認識は、先に引用したお3方とも共通しています。

「できる」=「やっていい」ではない

で、それを踏まえた上で、今日を気持ちよく生きるために、こういうところに気をつけているよ、というのが田口さんの記事であり、その考えは古いかもね、というのがけんすうさんの記事であり、『「だろう運転」より「かもしれない運転」』の精神が必要だよね、というのがカイさんの記事ですね。

ストリートビューの件はさんざん問題になり国会でも取り上げられた結果、カメラの高さを下げる、ナンバープレートのぼかし処理をする、といった日本向けの修正をGoogleが発表し、今では問題視する声は(私が見ている範囲では)聞かれなくなりました。

一方、このサービスに対する懸念の声があったことも確かです。日本へサービスを展開するにあたり、日本特有の事情をあまり考慮しなかったのではないか。プライバシーの問題を軽視しているのではないか。Google では、本サービス公開以来いただいたご意見を真摯に受け止め、このサービスを続けていくにあたって、より安心してお使いいただけるにはどのようにしたらいいか、議論を重ねてきました。
Google Japan Blog: ストリートビューをご利用のみなさまへ

「ソーシャルメディア」でのプライバシーの暴露問題(やや大げさに言うと)について、今のところ幸いにも規制法を作れとかいうような問題には発展していません。もしかすると、今のうちに業界でのルールのようなものを決めておくのがいいのかもしれません。何にせよ、議論がされていく必要があるだろうと思います。

で、「ソーシャルメディア」はどういうものを目指す?

その際には、「ソーシャルメディア」は今後どういう方向を目指すのか、ということを前提として考える必要があるでしょう。

ニッチなターゲットを狙うのでなく、リアル社会と地続きの、誰もが使うコミュニケーションインフラになることを目指すのならば、社会の常識感覚がそのまま「ソーシャルメディア」でも通用することが望ましいと考えます。

「ソーシャルメディアの常識」なるものが存在するとしたら、それが、どうしても新しい参加者への壁になります。リアルとまったく同じではないにせよ、他者のプライバシーへの配慮のような、ごく基本的なところは共通であったほうが分かりやすい。

というか、参加者としてももネットだからといって特別なものだと考えず、不特定多数の前では話せないようなことはせめて限定公開で書くとか、直接面と向かって言えないことはネットに書にも書かないとか、そういった風に考えておくことが、長い目で見ればうまくいく秘訣と言えるのだろうと思います。

極端な話、今のネットだと「情報を出す人に情報が集まる」と言われますが、「なんでもオープン」という風潮が過剰になっていくとしたら、そのときには「情報を適切にコントロールできる人に情報が集まる」ということになっていくはずです。

UIの見直しで解決できる部分もあるのではないか

さておき難しいのは、コミュニケーションのセンスやマナー、倫理(モラル)といった部分と、ソーシャルメディアを利用するためのスキルやサービスUIに関する知識(リテラシー)の部分を、分けて考えにくい点です。

例えばmixiのどこに入力した文章はデフォルトでどの範囲に公開されるのか、Googleにはクロールされるのか、Twitterでは? Facebookでは? GREEでは? Mobageでは? Gmailでは? Hotmailでは? Windows Live Messengerでは? もっと昔にあったいろんなモノでは……? これらの全てを理解しておくのはけっこう難しいと思われ、発言用のテキスト入力部分のUIにルールを設けて、全公開になる場合はテキストボックスの色を赤にするとか、「飲酒運転」と書いたときに「この発言は世界中に公開され誰もが検索可能になります。よろしいですか?」とアラートを出すとかするだけで、うっかり犯罪告白みたいなものはある程度減らせるのではないかと考えています。

問題レベル2 または郷に入ったので郷に従ってみました現象

ところで、田口さんが出されている事例については、ここまでに書いたこととはまた別のレベルの問題もあると思います。なんといいますか、ある程度ネットに慣れているけれど十分な経験があるわけではない人が「ソーシャルメディアというのはオープンなもんだから、オープンにしないとね!」という思い込みで、よかれと思って(思いやりや気配りの一環として)言ってしまう感じとか……。

または、ネットの有名人に会った嬉しさで言ってしまうという現象があるかなと。生まれて初めて芸能人を見て、ちょうどそのとき手元に端末があったら、興奮のあまりツイートしてしまうのを自制するのは難しいという問題にあたります。

こう考えると、最初の田口さんの話に戻ることになるのかなと思います。

それで結局「ソーシャルメディア」とはどういうものを目指す?

ソーシャルサービスはプライバシーを吸い取ってお金に替えるシステムだよな、という指摘が盛んに行われだしたのは、Facebookが流行だした頃だったか、Foursquareなどの位置情報サービスが目立ち始めた頃だったかと思います。

本記事では「ソーシャルメディア」をカッコ付きにしてみましたが、「ソーシャルメディア」には「私的領域にある情報をクランチ」してサービス提供会社の収益に繋げるために、情報を出させるためのあの手この手の機能が実装され、それが「オープン」とか「共有しよう」とか耳ざわりのいい言葉に乗って、プライバシーの流出を加速してしまう結果になることもあると考えます。

そもそも、人が他人の情報を漏らしてしまう「口が軽い人」の問題は、インターネットが誕生する前から存在しています。 しかし、いわゆる「ネットでの情報発信」を誰でも行える世界になったことで、「口の軽い人」が与える影響がこれまでとは比べ物にはならないほどの破壊力を持ったという話なんだろうというのが私の感想です。
Geekなぺーじ : ネットにおけるオープンマインドとネット規制の話

なんといいますか、うっかり「使いこなしている」つもりで「使わされている」事態になることは避けたいな、というのが最近の後ろ向きな感想です。

前向きには、自分にとって有益な「ログ」の出し方を引き続き試行していきたいなと。