震災後の社会と「3月のライオン」6巻の相似について  

こういう読み方を薦めるわけではありませんが。まずは個人的な記録として。

「3月のライオン」6巻では「いじめ」という、誰にも身に覚えがあるだろうテーマが大きく取り上がられます。本巻の最後で零はビッグタイトルを手にしますが、一読して感じた、そのタイトルの相対的な意味の薄さといったら……。

3月のライオン 6 (ジェッツコミックス)
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川本家の次女・ひなたのクラスでいじめ問題が持ち上がる。クラスにもたらされた大きな不幸に、個人の力では抗いがたい「空気」が形成されてしまった教室。その様子は、種類こそ違えども巨大な不幸に襲われ、根深い問題が明らかになった震災後の社会にも似ていると感じられました。

ある人は、黙して語らないことで問題と距離を置き、自身と周囲の平安を得ようとする。ある人は目立つ「悪」を摘みたいと考える。ある人は、「悪」に対し声を上げ事を荒立てようとする人こそが悪いと考える。またある人は、非当事者の無遠慮さに不器用さもあって、ただ最短ルートから問題に切り込もうとする。

自分がその場にいたときに何ができるのか、と考えると恐ろしく、私はまだ本書を読み返せていません。

別のところに目を向ければ、不幸な人を救いたいと思い続けている人がいます。また、必ずしもうまくいかないとしても、行動してくれる人もいれば、まだ行動に入っていないけれど、何かの力を持っているだろう人もいます。

そういうところから希望を見いだすべきなのかもしれないし、それよりも、もっと別の方法があるのかもしれません。本書を一読して、「こうすればいいのに」という自分なりの行動を考えることも、今のところできていません。

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