"普通の人"がネットで何者になれるのか?
以前から「普通の人が、ネットで何を得られるのか? どのようにすると"いい思い"ができるのか?」ということに興味がありました。
ここでいう"普通の人"とは、ネットで注目を集められるような特別なスキルや知名度、ネット特有の処世術などを持たない、ノーマルな人、といった意味合いです。"いい思い"というのは、友達ができたり仕事を得たりといった、精神的または物理的にいいこと全般を指しています。
しかし、上記のような言い方は、間にあるべきものが抜けていました。
何の特徴もない"普通の人"が、そのまんまで特別な何かを得られることなんてない。何者かになることで何かを得られる(代わりに失うものもある)。そしてネットは、その、なるべき"何者か"の選択肢を増やし、可能性を広げるツールとして使える。
でも、その選択肢を増やすとか可能性を広げるとかいうのはクセ者でもあって、踏み外す必要のなかった横道が見えてしまったり、いろんな可能性が見えすぎて努力の方向を拡散させてしまったり、といった失敗の可能性もまた増やすのでしょう。
と、書いてみると当たり前すぎですが、mixiでも自分にタグ付けするmixiキーワードなんてのが始まっちゃってる昨今、もう「自分は何?」ということを考えておかないと、ネットに(ソーシャルメディアに?)存在することすら危ういんじゃないかと思えてきます。具体的な話はまた今度として、これで公開してみます。

- 2010.01.25
- [ネット社会]

小林祐一郎
