「判断力のある子に育てましょう」という育児論に関するメモ
どうも前から引っかかっているテーマなのだが、なかなかまとめて書けないので簡単なメモにて。
かなり前の話だが、妻が話を聞いてきた育児関係のセミナーが「判断力のある子に育てましょう」という内容だったそうだ。一例としては、やかましく騒ぐ子を注意するとき「静かにしなさい!」と命令するのでなく、やかましいことによってどのような問題が起こるのか説明し、子どもが自分の判断としてやめる、という選択ができる子に育てましょう、という話。大まかに言ってコーチングの話。
これは全面的に賛成。なのだが、自分の育てられ方を振り返るに、こういう教わり方をしたことがなかったように思う(ど田舎の農村のことなので、世間の標準ではないだろうが)。単純な理由としては、親としては面倒くさい、というのもあるのかもしれない(いま実感している)。また、小さな子どもに言っても分かるわけない、というような思い込みもあったのだろう。成長するに従い、説明してくれる大人も多くなっていったような気がする。
考えられるその他の理由としては、「やかましい!」と一喝するような雷親父の方が世間ウケがよかったり、こまごまと言い聞かせることは「因果を含める」として何となくネガティブな印象の言葉になってしまっていたり、なんてのもある。また、大人には、子どもが納得できずに何か言えば「くちごたえ」として扱う者も多い。
きみの今の行動がどういう結果を招き迷惑を与えるのか、なんてことを小さい子どもが理解できるように(しかも適当なウソでなく)説明するのは、非常に難しいし根気のいることだ。つい一喝して片付けたくなる気持ちは分かる。また、結果的に子どもに理解されなかった説明は意味がなく、単に「強く叱れない親」になってしまいかねない。
これまでの時代、全員が判断力なんて持ってる必要はなかったのだろうとも思う。一握りの指導者層だけが判断力を発揮し、他はむしろ余計な判断力など持っていない方が世の中はまとまっていたのではないか。
いわゆる「帝王学」の関連とか?
しかし、これからの変化の激しい時代、そういう組織では変化に対応しきれない。判断力(≒メタ能力?)を高めるような教育が必要だろうし、そういう教育が必要だと、大人が認識を改める必要があるだろうし、そういう人間と付き合わなければいけないと、組織の上にいる人間も認識を改める必要があるのだろう。
- 2009.02.03
- [学び・育児]


