プッシュとプル、能動と受動のギャップ  

インターネットの技術をある程度知っている人なら、HTTPとはクライアントのリクエストがあって初めてサーバーがレスポンスを返してくるもので、つまり「Webページを見る」という行為は自らが能動的に動いた結果だと認識できる。

一方、そういった技術に疎い人には、ヤフーのトップからリンクしていたからとか友達がアドレス書いてたからとかメルマガ載ってたからとか、何らかの経緯があっての受動的な行為という認識で、「テレビをつけてたら放送されてた」のと似たような感覚でWebページを見る人が多いと思う。

このギャップというのはなかなか埋めがたいだろう。おそらくは頭で理解するレベルだけでなく、体に染みついた感覚とか感情レベルの問題もあるだと思うので。

はてブのネガコメを「見なければいい(能動的に)だけだ」論と「見えてしまう(受動的に)から問題だ」論の対立の原因にも、両者の感覚の違いがあるのだろうと考える。

※このへんにはネガコメ食らった本人以外の閲覧者に対し「公開であるべき(ネガコメりたい奴らだけで共有しとけ)」、「閉じておくべき(ネガコメ一覧が簡単に見られるのはおかしい)」という対立軸もあるわけだけど、今回は触れずにおく。

類似の例は多数あるだろう。思うに、一定の閾値を超えて広く普及したもの、広い範囲の人が関わるものには、何でも受動的に関わる者も多くなるのだろう。ごく初期のテレビには「わざわざ受像器を買ってアンテナ立てて電源入れて見るもの」というプルメディア的感覚があったかもしれない(それはないか)。

コミュニティ活動で、初期の志を共有できる仲間だけでの活動と、多くの参加者を抱えるようになってからの活動を同じスタイルで続けるのが難しいのも、似たような問題があると考えていいだろう。

で、たぶんそういった問題の対策は3通りあって、

  • (1)メンバーを能動的な者だけに限定する(登録ユーザー限定エリアのみに情報を掲載。低リテラシー者のWeb閲覧を制限)
  • (2)コミットメントや情報表示をオプトイン化し、本人の明確な意志を要求する(漫然とアクセスしただけでは情報が表示されないようにし、アラートを出して意思確認をする等)
  • (3)教育してリテラシーを上げる(Webページの情報閲覧は全部自己責任だぞと)

1と2は、よく言われる「フラット化」的な流れに逆行する。だから「フラット」をよしとする人には受け入れがたいというかナンセンスな意見にしか見えないだろう。3は努力を放棄すべきでないが結果を出すのは簡単ではない。

視点を変えて、Web広告・Webメディアのマネタイズあたりから考えると、よほどマニア向けでない限りは、能動的に動くユーザーだけでなく受動的な連中をいかに取り込み定着させるか、という点を考慮せずにWebメディアの成功はないだろう。であれば受動的なユーザーの感覚に合わせたシステム作りというのも、ひとつの課題として考えるべきものではないかと思う。

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