「コンテンツの共有」ではなく「時間の共有」を核にしたサービスが欲しい
ここ最近、「コンテンツの共有」は(「Life-X」など含め)けっこうお腹いっぱいだから、「時間の共有」を核にしたサービスが出てこないかな/どこかにないかなーと思っている。
大ざっぱなイメージとしてはチャット(IM風のクライアント)+SNS+コンテンツ共有サイト。「時間を決めてリアルタイムで話す」ことを重視し、SNS上で人間関係の管理とスケジュール管理をしつつ、時間が合う友達とチャットをする。チャット上で共有された写真や動画、それに付随するログは、しかるべき場所にアーカイブされる。アーカイブのパーミッションはSNSやチャット参加者の情報に連動する
要は、コンテンツ共有サービスに同期型コミュニケーションがある、という形のもの。
同期型コミュニケーションで「繋がりの社会性」を前向きにやりたい
「繋がりの社会性 」という言葉がある。ディープなWebユーザーには、軽薄で無意味なもの、といった意味を込めて使われがちな言葉だが、だからといって不必要なわけではない。
先にリンクしたglocomが定義している「コミュニケーションが連続することが重視されるときの、感情的な盛り上がりや、形式的な作法といったコンテクストがフックになるコミュニケーション(要するに「雑談」だと考えて良いと思う)」というのは、それはそれで人間関係を円滑にするためには重要なものだ。
ただ、それがブログやらWikiやら非同期コミュニケーションのメディアに永遠にアーカイブされるべきかとか、検索エンジンの結果に並んで情報を求める人の目の前に出てくる必要はないだろとか、そういう問題はある。
個人的な感覚としても、「繋がりの社会性」を非同期メディアでやるのは、公開Webのアーカイブとして残す必要のある情報でないと考えることと、もうひとつ「こういう言葉を投げて反応を待つ時間がやだな」といった感覚から、どうも抵抗がある。
でも、同期メディアの中ではあまり抵抗がない。「いいねー」と思うけどそれ以上の感想が浮かばない写真について、実際に会ってやチャットで「いいねー」と言うのに違和感は感じない。でもFlickrなんかに載っていると「いいねー」の後ろに100文字ぐらいその理由などを付けないといけない気がして、結局コメントしなかったりする。このへん拘ってしまう人とそうでない人で何か大きな違いがありそうだが、ここでは置いておく。
時間を共有することで、格別の親密さが生まれる
「時間を共有する」ということが生む親密さというのは、オンラインであっても格別のものがあるように思う。
時間を合わせてコミュニケーションするというのは、なかなかに面倒くさいことだ。それだけに、そこには「これだけの面倒くささというコストを支払ってでもあなたとはコミュニケーションする価値があると思っているよ」という前提があると考えられる。
掲示板なんかで行われる「繋がりの社会性」的なやりとりは、「時間を共有する」ということがシステム的にできない非同期メディアで、それでも「繋がっているよ」ということを確認するためのものだ、という捉え方もできそうだ。
それは既存のIMやチャットとどこが違うの?
主なものとしては2つ。
- 「いつでも繋がっている」という形を想定しない
- マルチメディアファイルの共有が容易で、アーカイブを自動的に整理してくれる
IRCとかIMみたいなのは「ネットに繋がってる間はずっと立ち上げとく」が常識で、ブロードバンド常時接続時代にはどうも皆ダラダラになりやすいように思う。そうでなくて短期集中型がいいなーと。「アーカイブの自動的に整理」云々は前述のとおり。
で、それは本当に使われるのか?
つらつらと書いてみて引っかかりがどうも取れないのが、そんなのを求めているユーザーがどんだけいるのか? というところ。ずいぶん手前だなそれは。
集中的な同期コミュニケーションにこだわるなら、直接会う方がより濃密な時間と持てるに違いない。一方で、そこにこだわらないなら、既存のサービスで充分な気がしないでもない。
でも、こんなことの役には立つと思うんだな。
不必要に「フラット化」とかされることを避けて棲み分け
時間を決めた同期コミュニケーションなんて面倒だ。言い換えれば参加のためのコストが高い。だから、ある程度意識の高いメンバー、気の合うメンバーだけをわりと自然に(切ったり繋いだりみたいな操作をせず、去る者はいつのまにかフェードアウトするような形で)絞り込める。そして、通りすがりの何もわかってない奴がスナック感覚で変なコメントをして嫌な気分になる、みたいな目に遭う機会が減らせると思う。
「会う」の前段階に丁寧なコミュニケーション
会うことは、金銭的または時間的に困難な場合もあるし、また、さまざまな不安や危険が伴うことでもある。その前段階として、という需要はあるだろう。
Twitterなどやっていると、この人ともう少しじっくり話してみたいと思っても、そうもいかない。相手は「つぶやき」として放言したいだけの人かもしれないし、自分ばかりが話しかけるのは迷惑かもしれないし。そこで、こういう場に誘ってみてもう少しじっくり話してみる、ということができたら良い。
また思いついたら書き足すかも。
- 2008.09.23
- [コミュニケーションの話(ソーシャルメディア、社会の話)]
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