コミュニケーションの道具は「ケータイ」に移る。そのときパソコンは?
途中をすっ飛ばした結論として、「コミュニケーション」のためのデバイスはPCから携帯電話に移っていくだろう。
メールとか、SNSとか、掲示板とか、Twitterとかブログとか、ニコニコ動画とかYouTubeとか。一部に「1日中パソコンの前に座ってる奴」というクラスタがあるとしても、対多数の人は仕事中や学校に行ってる間、(パソコンの)インターネットから切断される。また、コミュニケーションデバイスとしては携帯電話(またはそれが発展したデバイス)の方がパソコンよりも、強く人の心を動かせるとと考えている。また、ケータイの方が圧倒的にスキマ時間に入り込みやすい。
では、そうなったときにパソコンはどうなるのか?
ケータイを推したい人がよく「若い世代はもうPC使わなくなるぜ」とか言うが、それは見方が極端過ぎるか、デカいこと吹き過ぎている。
パソコンは「思考」の道具として必要なものであり続けるはずだ。より具体的には、人間のインプットとアウトプットを補助する道具として必要であり、これは当分ケータイでは無理できないだろう。人によっては「思考」でなく「情報収集・整理」や「創造」や「表現」となるかもしれない。
と、いうのは言葉の定義の問題でもあるんだけど。「ケータイ」は、携帯性や使いやすさのために、大画面や大容量の記憶装置、機能の豊富さ等を犠牲にしている。一方で「パソコン」は、そこまで極端に携帯性を重視せず、大画面、大容量の記憶装置、豊富な機能、文字入力がしやすいフルキーボードと扱いやすいポインティングデバイスを装備する。
ケータイ=コミュニケーションの道具 パソコン=思考の道具
という切り分けは、ひとつサービスやソフトウェア設計にあたっての判断基準になるのかなと思うし、パソコンの売り方として、このへんをもっと強調しても良いんじゃないかなととも思う。
だから、ケータイさえあれば良くてパソコンは要りません、という人は、極端に言えば深く「思考」する習慣がない人なんだと見ても良いと思う(パソコンがないと思考できないわけではないし、これは極論。ただ、今の30、40代以降で思考の補助ツールとしてパソコンを使わない人、というのはかなり変わった人と言えるのではないだろうか)。
関連してちょっと気になっている話。
学んでない人は、学ぶ姿勢がない。学んだ人は我慢がきく。これは、本当に本当。答えが出ない時間を受け入れられる。学んでいない人は、答えがすぐに出ないといらつく。
使いやすさを考えてみる。(アクティブシニア・シルバー層の現場から): 老人はキレやすいの?
なお、あらゆるデータがサーバに置かれ、ヘッドマウントディスプレイや現在のキーボード以上に高速入力できる何かのデバイスなどが普及したら、上記のようなケータイとパソコンの境は無くなるのだと思う。キーボードはどうなるだろう。現在のフルキーボードとは全く違う形態で高速な文字入力ができるデバイス、というのが想像つかないけど、より薄くて軽い板(下敷きのような?)になるのかもしれない。
ここまでを踏まえると、スマートフォンのような製品には、どんな役割を求めるのがスマートだろう? 出先でふと浮かんだ考えをまとめる程度の「思考」のための機能と、携帯電話並みの「コミュニケーション」の機能があれば、とりあえずOKだろうか。
- 2008.05.04
- [ネット社会]

小林祐一郎
