古い人の視点、新しい人の問題  

先に書いた「『モノが豊かになって心が貧しくなった』を小さく実感」の続き。

今この時代に生きている人たちは「同じ時代に生きている」が、また同時に「違う時代を生きてきた」わけだ。

モノが豊かになって云々〜というのは私自身も上の世代から何度となく言われたことで、まあ基本的には懐古主義者の愚痴だと思っているのだけども、そこに何かしらの理があるのだろうとも思っている。ただ、感覚としてなぜそういうことを言いたくなるのかいまひとつ分からなかったのだが、先の出来事でそういう感覚をちょっと実感できた気がした。

古い世代の人は、モノが豊かでない中でいろいろと工夫し、苦心し努力して、今の自分がある、というような思いがあるのだと思う。だから、モノが豊かであることで、そうした工夫やら努力やらの機会を失うことを懸念する。私も「遊びの中でいかに学ぶのか」的なことをよく考えているので、そういった視点から、似たような懸念が浮かんだのだと思う。

こういう懸念はまったくの無駄ではないが、今の世代の子どもを取り巻く問題としては、もっと重要な(同じぐらい重要な、かもしれない)ものがある、と考えた方が良いと思う。

今の時代、モノは豊かどころか過剰であり、そこは昔に戻しようがない。だから「おもちゃの取り合いとか古いよね。もう1人1おもちゃが普通だろ」というところから遊びの話を始めるのも有意義だと思う。ニンテンドーDSとか、そういう環境を前提としたおもちゃなわけだろうし。

さらには「過剰なおもちゃをどう遊びこなすか」といったことも考えるべきだと思う。「捨てる技術」的な。そしてこのへんは、多感な年頃をモノのない社会に過ごした人には、なかなか適応できない価値観の転換なのかもしれない。

こういう話は、情報が溢れててアテンションエコノミーです、何を読むかよりも何を読まないかの方が大事です、みたいになってる大人社会にも通じるだろう。

となると、話をもうひとつ脱線させて、子ども向けのフィルタリングの話が気になる。

有害コンテンツに対して何らかのフィルタリングは必要だと考えているが、上手くはいかないだろう。とりあえず「パソコン素人な親を持つお友達」がセキュリティホールになりそうだし。

当然ながらこういう視点も必要だなと。

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