ブログに書かれにくいもの、伝わりにくいもの  

2007年も何だかんだで育児に追われてたなあ。12月なんか家族そろって体調を派手に崩し、なんとか持ち直してきたらもう暮れですね、という始末。

言語化、数値化されにくいものたち

育児の大変さを書き始めると止まらないが、実際にはだから苦痛だとか思っているわけではないし、独身に戻りたいとも思わない。家族がいることの喜びというのは、どうもいまひとつ言葉にしにくい。不幸や苦労は言葉を尽くして語るものだが、幸福は本来多くの言葉を必要としないものだから、だろうか……というのは今ちょっと思いついただけだが。幸福な人が幸福を表現したものは、ややもすると反感を買いかねない浮ついた作文か、ポエムになりがちな気がする。

言語化・数値化しにくい情報というのはいろいろあって、それをブログのような言語中心のメディアで表現するのは本当に難しいものだ、というのが最近の感覚。何か大事なものを表現しきれず保留しっぱなしのまま、その周囲の比較的どうでもいいところをウロウロしている、という感がここのところ強い。

こうした傾向は読むときにもあって、その場の言葉やデータになっているのが全てだと考えてしまうと、大事なものを見落としがちだ。

いま現在考えられる、幸福を表現するベストな方法は、ひたすら日々の日記を綴り、その連続の中からふんわりと幸福を浮かびあがらせる方法だ。

ブログ的に、エントリー別に読まれる傾向が増すことで、この「連続の中から浮かび上がるもの」をきちんと読者が受け取ることは難しくなっている。例えば恋人との楽しい日々を綴ったブログの中で、1回だけ相手の失敗について冗談めかして揶揄的な言い方をしてみたら、それだけを読んだ(前述の「大事なもの」を見落としている……空気が読めていないとも言えるか)読者から抗議された、なんてことも割とよくあるようだ。

そんな中でも、それでも全てのエントリーにほぼ均一にその空気感を織り込み、いわば安定した幸福さを伝えているブログがあるから凄い。この域には、自分は達せそうにない。

客観的な表現が足りず、近しい人との感情の共有にとどまる言葉が多い

ブログは基本的に主観で語られるものだ。主観の言葉というのは、遠くのクラスタに届きにくいと思う。自分が特に注意を払わずに行う主観的な表現というのは、その人が持っているコンテキストを背景にしているのに、それが省略されがちで、だから背景を共有できない人には伝わりにくい。

少しずつバケツリレー的に語られることで、例えば子ども→その母(主婦)→その父(IT業界人)のようにして伝わってくることはあるものの、事例としてはそれほど多くはない。こういうことがもっと進んだら楽しいと思うのだけど。

アルファブロガー・アワード」に関連して、小さな島化したブロゴスフィアを横断する手段がない、といったことが言われたけども、これは「ブログ」の宿命と言えるのかもしれない。

客観的な言葉で広く伝える、というジャーナリスト的な活動がもっと盛んになることが、こうした状況の打開のためには必要だろう。とはいえ本腰を入れた取材活動をみんなで行う必要などはなく、家族とか近所の人とか同僚とか、自分の周りの人の言葉を聞いて、ブログに書いてみる、ということが第一歩になるのかなと思う。

そんな感じで、個人的にはブログに対するスタンスを少しずつ変えようとしていて、まずは取材したばかりで書いてない記事をきちんと書くとか、いろいろやっていこうと思う。2007年の振り返り。

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