映画のPRをブロガーに頼るのは恥ずかしい?
ちょっと気になるトピック。
伊集院の昼のラジオ「日曜日の秘密基地」で出版業界の話をやったときに、「映画雑誌の部数はうなぎ下りで、映画会社の広告はネットの媒体に移ったり、アクセスを集めている個人(ブロガー等か)に紹介を依頼するようになっている」と話していた。こういう番組で一例として挙げられるということは、それだけ顕著な動きとして見られるんだろうと思う。
以前にはこんな記事もあった。
映画・音楽の宣伝、「専門誌よりブロガー」 - ITmedia News(産経新聞)
出版科学研究所の村上達彦研究員(36)は「面白い情報探しのツールとして、雑誌はネットに負けている。このままでは部数の増加は難しい」と話しており、専門誌の苦境はしばらく続きそうだ
上記での「恥ずかしながら(中略)ゲストはブロガーですよ(笑)」の掲載誌は確認していないし前後の文脈もよく分からないのだけども、ある種の古い映画人の、ネットの台頭とかブログのような媒体が力を持つことへの忸怩たる思いとでも言うべきものは想像できるなあ、と思う。
とはいえ、この失言は痛い。同じく伊集院の昼のラジオでここのところ何度か出る話に、今のこれだけ情報があちこちから出て流通する時代に、情報を隠したり密談で話を進めようとしてもムリだよね、というのがあって、なんというか、壁にブロガーあり障子にVIPPERありというか。
自分がいかにネットと遠い世界にいると思っていても、実はけっこう身くにそういう情報インフラと密に繋がった人物がいて、あらゆる発言は拾われて流通する可能性があるという意識はしといた方が良いんだろうと思う。
「ブロガー」に引っかかる原因の最大のものは、歴史の浅さであり権威のなさ(もしくは、どこのウマのホネとも知れない連中を「ブロガー様」としてお招きしなきゃいけないところ。そもそも別に「様」として遇する必要もないわけだが)なんじゃないかなあ、と思うのだけども、前に「「賢さ」と「権力」が切り離される「wisdom of crowds」の世界」というエントリーで書いたように、声を上げる人たちの知性や言論の質と、その人や媒体の持つ権威・権力のようなものは切り離されつつあるわけで、そこらへんは脳を入れ替えないとやってけないように思う。古いのもが好きなのは結構だけども、新しいものも認めないと単なる逆張りだよね、みたいな。
映画業界の方で積極的にブログを活用したり、自分でもブログを運営している方は当然ながら大勢いらっしゃるんだけども、一方でこういう意識を持った頑固な方もいる、というのは、マクロに見ればまあ当たり前、ということなんだろうと思うし、個人的にはこの「恥ずかしながら(略)」の内藤氏にはちょっと興味を持った。オチはない。
- 2007.11.25
- [コミュニケーションの話(ソーシャルメディア、社会の話)]












