ブログマーケティングに感じられる違和感と、3つの論点

「影響力の武器」関連の考察をいくつかしてきたが、今回はとりあえずの締め、の予定。

影響力の武器[第二版]影響力の武器[第二版]
ロバート・B・チャルディーニ 社会行動研究会

誠信書房 2007-09-14
売り上げランキング : 3443

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

ここしばらく、ブログについて考えるときに自己の学習・認知科学的な面に絞っていたのは、ブログの社会的影響についてとか、具体的にはブログマーケティングやらブロガーへのモニター施策について考えるとき、どうも言葉が不足しているように思えていたからだった。

以前にも取り上げたが(「ブロガー厚遇」問題への雑感)ブロガーモニター施策に関して、批判的な声が一部にある。モニターとなったブロガー自身がいろいろ悩んだ、というものもあるし、周囲の人が「提灯記事書きやがって」的なネガティブコメントを投げているのも見る。これについて、「影響力の武器」で手に入れた言葉を使って再考してみる。

論点1:「返報性」のルールが持つ呪縛からモニターブロガーを自由にするには?

ブロガーモニター施策への違和感の多くは、「返報性(何か恩を受けたら恩を返さなくてはいられなくなる、という人間の心理特性)」というルールの存在を皆が知っている(概念として知らなくても、感覚として返報性のような心理特性の存在に気づいている)ことから生まれるものだろう。

  • ブロガー自身の場合、企業側からの製品提供を「恩」と感じ、それにどう恩返しをすれば良いのか戸惑ってしまう。もしくは、つい「恩返し」をしてしまった結果、自分が本来感じた以上にポジティブなブログ記事を書いてしまう
  • 一般読者の場合、企業側からブロガーが「恩」を受けているんだから、ブログのエントリーには「恩返し」が含まれるだろうと思いこんでしまう

といったものだ。最悪の場合、ブロガーは企業と読者の間で板挟みになり、大変に苦しむことになる。

先に返報性への異論めいた話を書いておく。私はどうも、企業から製品の提供を受けていながらガンガン酷評をするブログを見ると違和感を感じてしまうのだが(感情的なもので、理論的な理由があってのものではない)、そういう例もあるように、今のモニターブロガーには、返報性のルールに縛られていないように見える人もいる。が、これは後で書くように、企業-ブロガー間の契約において「好きに書いて良い。酷評上等!」という条件が明示されたことによるものと考えられる。つまり「徹底的に粗を探して批判することこそ恩返し」みたいな思考なんじゃないかなあ。ツンデレの一種か?

実際の「返報性」というルールは、そう簡単に振りほどけるものではない。「影響力の武器」にてチャルディーニ氏は「返報性のルールを使う要請者に対しては、私たちは手ごわい敵を相手にすることになります(中略)それを拒否すれば、そのルールのほこ先が、私たちの心の中に深く根付いている公正感や義務感を傷つけることになります」と、このルールの強力さ、安易に拒否することの難しさを、本書の中でもかなり強い言葉を使って説明している。

返報性のルールから逃れられないことを前提に、企業ーモニター間の取引内容を明示すべし

この問題からのゴタゴタを回避するには、施策を実行する企業が、以下のことをやっておけばいいだろう。

  • ブロガーに対し、企業がどれだけのものを与え、どれだけのリターンを要求しているのかを明示する。それを契約書類に盛り込んでおく
  • モニター施策において、企業が何を提供し、ブロガーが何を返す関係になっているのかを明示する。具体的には、ブロガーがいつでもリンクできるURLに、そのルールを分かりやすく記しておく

ブロガーは社会生活を営む人間である以上、返報性のルールから自由にはなれない。また、返報性のルールは意識を超えたレベルで作用するものだから、ブロガー自身が「自分には返報性なんか効かない」といった発言するのは、認識不足の告白でしかない。

だから、この施策がどのような取引を行っているのかを明示しておくべきだ。それはまず、ブロガーを安心させることになる。「批判でも何でもいいからブログに書いてほしい」と企業が要求すれば、ブロガーは安心してけちょんけちょんに批判し「自腹じゃ買わないね」とすら言い切れる。そう言い切れることが良いのか悪いのか、というのはまた別の問題としてあるが。

同時に、ブログの読者が正しく背景を理解して記事を読めるようにするために、また、それによってモニターブロガーを守るために、企業はブロガーとどのような取引をしたかを、Web全体に向かって、簡潔に(ブログの読者は契約書レベルの細かい文章なんか読まない)宣言しておく必要がある。

「影響力の武器」の返報性を扱った章において、「無料の試供品」について説明されている。商品を提供してのモニター施策も、同じような見立てができるだろう。以下に少し引用する。

言うまでもなく、これは、製品の良さを一般の人々に知ってもらいたいという、生産者の正当な欲求に基づくものです。しかし、無料試供品の強みは、それが一種の贈り物であることから、その場に返報性のルールを持ち込むという点にあります。

ブロガーモニター施策の歴史が長くなるほど、返報性の罠(=しがらみ)の増える危険性が増す

現在、私の知っている範囲をウォッチした感じでは、返報性のルールによってブロガーがガチガチに縛られ、大変なことになっている、というようなことはないように思う。ブロガーモニターのようなマーケティング施策はまだ狭い範囲でしか行われておらず、また、まだ歴史が浅いせいもあるのだろう。参加ブロガーはみんな賢明であるし、企業も真摯に取り組んでいるように見える。

でも、ブロガーモニターがもっと広く行われ、参加ブロガー/企業が増え、企業とブロガーをつなぐエージェント的な存在も多数現れたりしだすと、どうしてもディープな貸し借りやらナァナァやらの、しがらみタップリな世界になっていくのは止められないのではないか、と思う。

エージェント:「今度、A社の新製品の紹介やってくださいよー」
ブロガー:「えー、あんまり興味ないっすよ」
エージェント:「ほら、前にB社のモニター回してあげたじゃないですか。今度もいいの回しますから、これお願いしますよ!」
ブロガー:「しょうがないなあ。じゃあやりますよ」

ライトなところではこんな感じか。自分の信念を貫き通してこういう例には行かないブロガーもいるだろうし、「A社の新製品に興味を持つようにする」という形でこれを受け入れるブロガーもいるだろう。何にせよ、これが即「悪いこと」と断罪されるようなことではないが、微妙な気持ち悪さを残すおそれがある、とは思う。

返報性のルールに縛られたブロガーに対し、ブログ読者ができることは?

おそらく、あまりない。また、読者が直接に返報性のルールを悪用した行為の被害を受けることも少ないだろう(返報性のルールにやられたブロガーの「好意」や「権威」にやられるおそれはある)。

返報性のルールは、ブロガーと企業(またはエージェント)間の関係において、危険な問題となりうる。そして、ブロガーが返報性の罠に絡め取られると、エントリーの内容はおかしな方向に飛んでいくだろう。急に論調が変わったりとか、これまでなら褒めなかったあろうと思うものを褒め始めるとか。

いち読者の感想として「最近おかしくね?」みたいなことを言うことはできる。で、自分を見失いつつあったブロガーが正気に戻る、というようなことがあるかもしれない。でも、それは余計なお世話かもしれないし、ほかの読者からは言いがかりとしか見られないかもしれない。

そのブロガーが返報性のルールに縛られているかどうか、というのは、おそらくブロガー自身もうまく判断できないことが多いだろうし、客観的に分析し0/1で答えが出せるものでもないだろう(よほど突飛なことがあっても、純粋に興味が移ったとか、趣味が変わったという可能性だってある)。だから、主観としてこう思ってるよ以上のことは言えないし、主観のぶつけ合いをやるか主観に基づき個人的にもう読みませんになるか、なのかもしれない。

返報性のルールに縛られないために、ブロガーができることは?

2つある。まず企業・エージェント側に対して、面倒な関係を作らないこと。それから、読者に対して、無用な誤解を生まないようにすること。と、だけ書くと、とっても無難な結論になった。具体例が出るとまたおもしろいと思うので、いずれ何か書きたい。

論点2:読者を圧倒する「社会的証明」のルールの影響を軽減するには?

社会的証明というのは、皆がやっていることを良いことだと思い、真似たくなる、そして、自分に属性が近いほど、親近感を覚え模倣したくなる、というルール。例えば「母:マー君とケン君が持ってるからポケモン欲しいって。じゃあ、マー君やケン死んだらあんたも死ぬのね!?」、「子:うん、死ぬかもしれない。だってそれがボクたち人間を縛る『社会的証明』のルールだから」というルール。

ブログマーケティングというのは、ブロガーとブログ読者の「近さ」を利用して社会的証明のルールを有効活用するための仕組み、だとも言えるだろう。なので、熱心なブログ読みが社会的証明のルールを完全に逃れるのは難しいと思う。

社会的証明の悪用例=サクラ行為

社会的証明を使った罠の例として、代表的なのはサクラ行為。ある日、RSSリーダーでいつも読んでいるブロガーの数人が同じ何かを始めて、妙にハマっている様子である。これは楽しそうだなと興味をひかれ、自分も手を出してみた。実はそれらのブログ記事は、企業からの依頼で書いてましたー、というようなやつ。こういう現象の全てがサクラ行為とは限らないが、全てサクラ行為とは無縁だとも限らない。

「影響力の武器」内では、社会的証明の悪用例として、テレビの録音笑い(笑いどころで流れてくるアレ)や、一般人へのインタビューの体裁をとったコマーシャルが紹介されている。このあたりは、Webのツールに見立てると掲示板のシステムが近いだろう。しょうもない意見も、自作自演かもしれないが10個ぐらい「禿しく同意」とレスが付いていると、つい「あれ? これって実は見所のある意見?」と思ってしまう、みたいなやつ。

ブロガーが個々にサイトを立ち上げているのは、各自の主張の独立性を確保し、安易な同意=安易に社会的証明の中に巻き込まれることを防いでいる、とも言えると思うが、そのブログたちが揃って同じ主張を行えば、結局は社会的証明を行っていることだといえる。

読者がブロガーのサクラ行為にはめられないために、やるべきこと

ひとつは、視野を広げること。視野を広げてみれば「みんながやってる」のではなく「一部のあのへんの人たちだけがやっている」のだと気づくことができる。

もうひとつは、「みんながやってるから」だけで行動しないこと。興味を持つきっかけにするのが良いが、お金を払うまで行ってしまうと、後で後悔するはめになってしまうかもしれない。

「これ、サクラじゃねえ?」という勘ぐりをされないためには?

ブロガーにサクラをやらせるのはダメですよ、なんて話は当たり前すぎるので置いておく。それよりも問題として考えるべきなのは「サクラ疑惑を持たれないためには?」というところだろう。そもそも、サクラと非サクラの差はどこか? という問題でもあるが。

いわゆるステルスマーケティング:サクラ
ペイパーポストみたいにコピペで紹介記事:サクラ?
モニター:モニターでありサクラではない

みたいな感じだろうか。ペイパーポストはどっちに入れるか迷う。

また、同じクラスターのブロガーばかりにモニターをさせると、複数のブログを読んでいる読者が多い=サクラっぽく見えてしまう ということもありそうだ。特定クラスター向け商品であれば、そうなるのも当然だといえるが、そうでない商品が偏ったクラスターに行く、というのは、無用な誤解を与える気がする。

論点3:承諾誘導の技術そのものは否定されるべきではない

ここに挙げたような「返報性」や「社会的証明」、その他「好意」、「権威」、「希少性」といった承諾誘導の技術(=影響力の武器)そのものは、否定されるべきではない。

こうした「簡便反応」と呼ばれる人間の反射的な応答機能を利用したコミュニケーション技術は、は人類がよりよい社会生活を営むために身につけてきたものであり、「騙し」のためでなく、正当なコミュニケーションの手続きを簡略化するために使用されるだけなら、全く問題はない。チャルディーニ氏も「簡便反応のルールをフェアに使っている承諾誘導のプロを敵だと思ってはいけません」としている。

また、チャルディーニ氏は「近道は神聖なもの」として、このように述べている。

テクノロジーは人間よりもずっと速く進化しますから、情報を処理する私たちの能力は、現代生活の特徴である溢れるほどの変化、選択、挑戦を扱うには不適切なものになってきています。下等動物には、外部の環境の複雑さと豊かさを十分に処理する心的装置が備わっていませんが、私たち人間は、次第にこうした下等動物と同じ立場に立たされるようになってきています。認知能力がもともとある程度欠けている下等動物と違って、人間の場合は、複雑な世界を急速に構築することによって、自ら結果を作り出してきたのです。

つまり、人間は本来高い情報処理能力を持っているが、情報の量が増えすぎてしまったため、結局は下等動物並みの条件反射で「カチッ・サー」と行動させられるようになってきてしまっている、と。

承諾誘導の技術そのものに問題はない。問題とすべきは、返報性のルールを使ってブロガーにくだらない商品を宣伝させてしまったり、買う価値のない商品を社会的証明を使って宣伝する、といった行為だ。

こういう行為を見つけたとき、チャルディーニ氏は「逃げの手を打つのではなく、力強い反撃を行うべきだ」としている。これは「ブログを炎上させろ」という意味ではないけども。

これが「ブログ」という場においても同様なのかどうかは、ちょっと悩ましい。チャルディーニ氏の提案をブログに当てはめると「貧乳好きブロガーに巨乳モノAVを褒めさせているのを見つけたら、メーカーにメールを出して『くだらないマーケティングをやるな』と非難し、たまには巨乳も…と思ってしまった同志に(コメントあたりで)警告を発し、その他あらゆる手段を用いて対決することが必要だ」てな話になるが(巨乳AVの例は当方オリジナルですが)、ブログの場合、そこまでやるべきなのか? と。

承諾誘導の技術をアンフェアに使う業者は叩かれてしかるべきだし、安易に流されたブロガーは目を覚ます機会を得た方が幸せだ、とは思う。一方で、ブロガーは基本的に自分のブログに何を書いても自由だし、たまには巨乳もいいなぁ、と本心から思ったのを否定されてしまう、というのも気の毒だ。無用な衝突を避けつつ、ブロガーが好きなことを言う権利と読者の批判する権利の、両方が立てば良いのだが。

もっと良いのは、読者が無用な勘ぐりや穿ちすぎの推測によってイライラせずにすむように背景をきちんと説明し、「まあ、それなら巨乳の話が出るのもやむを得まい」と納得してもらうか「それくらいで巨乳に傾くような奴のブログはもう読まん」と正しい情報に基づいて見切ってもらうか、なんだろうと、今のところは思う。

まとめ

  • ブロガーモニター施策において、「返報性」のルールが悪用されて(もしくは歪んだ運用がされて)ブロガーを縛り、本来の言説をゆがめてしまうおそれがある
  • 同様に「社会的証明」のルールが悪用(もしくは歪んだ形で運用)されると、読者は、商品が本来よりも良いモノに見えてしまうおそれがある
  • これらの影響は、ブロガーや読者の意識を超えた部分に影響を及ぼす。返報性のルールのために知らず知らずのうちに提灯記事を書いていたり、社会的証明の影響で、あまり興味がなかった、たいして良くないものを買ってしまっていた、ということがありうる
  • とはいえ、こうした承諾誘導の技術そのものは否定されるべきではない。悪用を注意深く見分けるべきだ
  • 多くの人は、こうした承諾誘導手段の存在を経験的に知っているので、テキトーに誤魔化すことはいらない勘ぐりを招き、良くない結果となってしまうだろう
  • ブログマーケティングをやる人が考えるべき課題は、こうした承諾誘導の技術をいかにフェアに利用するか、そして、フェアに利用していることを示し、皆に納得してもらうか、にある

好意、権威と社会的証明については、また改めて。

  • はてなブックマーク - ブログマーケティングに感じられる違和感と、3つの論点   このエントリーを含むはてなブックマーク