テレビの低俗化云々の話を「影響力の武器」で説明する  

元ネタ:
Life is beautiful: テレビ番組の低俗化に関する一考察
Life is beautiful: テレビの低俗化に関する一考察、補足1

関連:
「好きなブロガーがおすすめしている物は買いたくなる心理」を説明する「影響力の武器」 :Heartlogic

「影響力の武器」に、こういう話が紹介されている。

七面鳥はヒナ鳥の世話をするとき、ヒナ鳥そのものを認識しているのでなく、ヒナ鳥の泣き声を認識しているそうだ。だから、七面鳥の天敵であるイタチの人形からヒナ鳥の鳴き声が出るようにすると、七面鳥はその人形を自分の羽の下に入れ、面倒を見る。鳴き声を止めると、七面鳥は人形を攻撃する。

これはつまり、七面鳥の親が子どもを判別するのに、対象の実体を見極めようとせず「鳴き声」という特徴だけかで「カチッ・サー」と判断してしまっている、という話。

人間にも同様の条件反射的反応を起こさせる「カチッ・サー」は多数ある。最近経験したものでいえば、風鈴の音が聞こえるとちょっと涼しい感じがする、なんてのもその一つだろう。


もうひとつ。伊集院光のラジオで、以前にこういう話が紹介されていた。

リスナーから「『いぬのえいが』に犬が死ぬ話があって、これは別に感動も何もないけど泣ける」といった手紙を貰い、実際に観てみた。女の子が小さい頃にもらった子犬が、女の子が成長した頃に年老いて死んでしまう、という話で、確かに犬好きなら条件反射で泣ける。でも、あとには何も残らない。泣けるけど感動するわけじゃない、と。

こういう話。
伊集院光と『子ぎつねヘレン』 ~泣きのエンタメ: ぷれしゃす・もーめんと


どこで聞いた話だったか忘れたけど、物語を作るとき、病人とか子どもとか老人とか動物を出せば、簡単に「泣ける物語」は作れる。簡単に作れるからこそ、新人賞の応募作なんかでは禁じ手とされているとか聞いたことがある。


上記の「いぬのえいが」の話は、伊集院リスナーらしいシニシズムだなあ、という見方もできる。普通の人なら感動ではなく「カチッ・サー」の条件反射で泣かされただけだとしても、自分が泣いた理由を脳が独自に作り出して「俺は感動したんだ!」ということにしてしまうだろう。


つまり、「Life is beautiful」の中島さんが仰りたいのは、昨今のテレビ番組は、視聴者の条件反射的スイッチを押し、製作者側が意図する通りに「カチッ・サー」と反応させるための手法が巧妙化している、ということだと思う。こういうのは何といえば適切なのかなあ。「薬物化」、「操縦化」とか?


ネズミの快楽中枢に電極を刺して、一定の操作によって刺激が走るようにすると、ネズミは快楽を求めて延々とその操作を繰り返すという(科学的世界観 第3章:人間界 第4節:意識及び意志より)。


感動を挟むことなく条件反射で泣かされるのって、体験をはさむことなく条件反射で気持ちよくさせられるのと大差ないんじゃないかと思った。

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