世の中には2種類の人間がいる。SNS的世界が心地いい人間とSNSが退屈な人間だ  

世の中の「日記/ブログを書く人」は、2種類に分けられそうだ。 タイプAは、友達など特定の顔が見える範囲に日記を公開し、それを肴に特定メンバーでのコミュニケーションを行うことに満足するタイプ。顔の見える相手、反応が読める相手だけの輪で何かを話すことが楽しいこのタイプは、クローズドで...

世の中の「日記/ブログを書く人」は、2種類に分けられそうだ。

タイプAは、友達など特定の顔が見える範囲に日記を公開し、それを肴に特定メンバーでのコミュニケーションを行うことに満足するタイプ。顔の見える相手、反応が読める相手だけの輪で何かを話すことが楽しいこのタイプは、クローズドで交流メンバーを固定できるSNSに居心地の良さを感じる人だろう。「SNSさん」とでも呼んでおく。

対してタイプBは、特定メンバーだけにしか公開しない日記では、何か物足りないと思ってしまうタイプ。マイミクもリアル友達もちゃんといるけど、ブログで書く文章は、それだけじゃないどこかの誰かにも読まれたい。自分の書いたことが、顔も名前も知らない誰かに届いて、何らかの影響を与えられたらいいな、と思って書いている。こちらは「ブログさん」と呼んでおこう。SNSもブログも使いこなしてますよ、という人も「ブログさん」に分類する。

で、この両者、SNSさんとブログさんを分けている何か、を発見したいなあと思っている。

考察1:発言する動機の違いがありそうだ

両者の違いとして何となく見えてるのは、こんなものだ。SNSさんはおそらく目に見える明確な形での「反応」を期待して、それを得るための投資、話の振りとして書いている。一方のブログさんは期待していないわけではないけれど、必ずしも即効的なものを期待たり、それを得ることを主目的としてはいないだろう。

SNSさんの場合、メールを書いて返事が来なければ怒るし、日記を書いてコメントを貰えなければ不貞腐れると思われる。

一方でブログさんの場合は、足跡がついていたりとか、アクセスログがあったりとか、そういったもので一応満足できると思う。あるときに検索エンジンから狙った通りのキーワードでやってきている人を見つけたら、もうニコニコしてしまったりするのではないだろうか。

考察2:短歌と小説の違いのようなものがありそうだ

このあたり教養不足でうまく言葉にできないのだけど、SNSさんの日記は感傷的、情緒的、主観的な要素が強く、ブログさんの書く日記は記録や物語、考察が主で、客観的な要素が強い、という違いがあるように思う。何かを書こうとするときにメタ視点を持てるかどうか、という違いなのだろうか?

仮説1:読書経験の有無が両者の差

何かを書いて、どこかの誰かのために残すというのは、古来から行われてきた行為で、少し前であれば、本やら新聞がその役割を担ってきた。こうしたメディアに触れた経験を持つ人がロールモデルとして「何かを書いてどこかの誰かのために残す」ということを学習し、「何か」と「書く手段」を手に入れたとき、「どこかの誰かのために書く」ということを自然に始めるのだろうか。

そして一方で、そういうものに憧れたとか、良い思いをしたという経験のない人は、そういう発想に行かないのではないか。

仮説2:「秘密」の有無が両者の差

「秘密」というと何かイケナイもののようなイメージになってしまうが、リアルの人間関係ネットワークでは解消できない、または、できないと思うものを持っているかどうか、が両者の差ではないか。

顔見知りには言いにくい悩みがあるとか、ある種の趣味や野望を持って行動していることについては知り合いより無関係な人を相手にやりたいと思うのが自然だったりとか、今の友達とは共有できないものに興味を持っているとか、そういったことがあると、そうした行動は自然とSNSではなくブログのような広い場に向かう。そういうものが特になければ、誰ともしれない奴が見て難癖つけてくるかもしれない場所でなんか書こうなんて思わない、かもしれない。

ちなみに、いわゆる「リア充」、「リア忙」状態の人は、リアルのネットワーク内だけでインプット・アウトプットが全て済んでしまうので、ここでいう「秘密」が発生しない。ある時、ふと何か変なものに興味を持ったとか、特殊な状態に陥った(恋愛、病気、失職、等々)場合には、それが「秘密」になりうる。もともとリア充気質な人はきっとリアルの中で処理しようとする傾向が強いと思うが。