疑似同期型コミュニケーション、mixi、年賀状、「繋がりの社会性」
「世の中には2種類の人間がいる。SNS的世界が心地いい人間とSNSが退屈な人間だ」の続きを書こうと思いつつ、時間がとれないままに脳内で構想だけが膨らんでいって、何となく永遠に書かない気がしてきたので軽く書いてみる。
先のエントリーには、「SNSさん」を「ブログさん」より一段低く見ているかのようなニュアンスがあった。必ずしもそうではないと思うし(参照:キャッチボールによるコミュニケーションについて)、そもそもmixi日記の類を書くこととブログを書くことを並べる必要性もないといえばないのだけど、同種の行為と捉えている人は多いと思われるので、まあそれはそれで。
最近、WIRED VISIONに掲載されている濱野智史氏のブログを興味深く読んでいる。Twitterやニコニコ動画を「選択的同期的コミュニケーション」と分析されていたのは先にも紹介した。
新しいエントリーでは、この(選択的同期型あらため)疑似同期型コミュニケーションアーキテクチャは、SNSさんたちによって繰り広げられる「繋がりの社会性」=交わされるメッセージの内容でなく、「何かが交わされている」という状態を持つことそのものが目的化したコミュニケーションが取られている という状態に対して、これを改める有効打になるんじゃね? といった考察が展開されている、と私は理解している。誤読している可能性も多分にあるので、詳細はオリジナルをお読みください。
WIRED VISION / 濱野智史の「情報環境研究ノート」 / 第6回 情報環境研究のキーワード「繋がりの社会性」
WIRED VISION / 濱野智史の「情報環境研究ノート」 / 第7回「擬似同期型アーキテクチャ」の機能主義的分析
ised@glocom - 繋がりの社会性
濱野氏もどうやら「繋がりの社会性」≒SNSさんのコミュニケーションを低級なものと見ているように感じられるのが、おもしろいというか、興味をそそられる。これも誤読してるかもしれないけど。
この「繋がりの社会性」関連でいうと、たとえばお中元、お歳暮、年賀状なんかは「繋がりの社会性」を実現する手段の最たるものだと思う。年賀状あたりは定着しているけどお中元、お歳暮なんかは「虚礼」として廃止の方向性にあるのは、そこにかかるコストの問題が絡むのかなあ、とかなんとか思う。
以下、説明不十分のまま乱暴にまとめるが、
(1)毛繕い的コミュニケーション(繋がりの社会性)=質の低い不毛なコミュニケーション
(2)疑似同期型アーキテクチャがコミュニケーションの不毛さを解消しうる
(3)コストの高い毛繕いは廃れる
という仮説が頭にある状態で以下の記事を読むと、それは絶対にねーよ、と思っちゃうんだなあ。
──まずは、社名の由来ともなっている3Dインターネットの位置付けを教えてください。
小川氏:ngi groupでは、“Web 2.0”の次に来るものは何かを検討し、それは3Dインターネットだという結論を出しました。3Dインターネットは、まさにngi groupの中核事業の柱として動き始めました。
もっとも、Web2.0というのはどういう解釈で使ってもイケちゃう便利な言葉だし、広い意味でビジュアル表現の3D化は行われていくだろうから、読みようによっては、ごく当たり前の話ですね、ということにもできる。
経験的に感じているのは、同期型コミュニケーションの場は、ヒットしたときの盛り上がりは大きいが、盛り上がりが長続きしにくい。何だかんだで皆で同じ時間に集まる、というのはとてもハードルの高い行為だ。リアル知り合い同士の連絡手段としてはアリだと思うが(同期型ツールが、たまり場チックな疑似同期風に使われる状態はよくある)。3Dで疑似同期型、というゾーンがもしかしたらねらい目かもしれないが、どのレベルの表現力の3Dならヒキになるのか、というのはよく分からないなあと思っている。
- 2007.07.24
- [コミュニケーションの話(ソーシャルメディア、社会の話)]
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