Buzzれないブログは、ただのブログだ?
先に書いた「「ブロガー厚遇」問題への雑感」から引き続いて、いくつか。
ブロガーを2つに分けてもあんまり楽しくないと思う
この見解は「それをいっちゃあおしめえよ」の類であると思っている。
メディア化したブログとそうでない所謂ブログを、十把一絡げに「ブログ」として見るから、厚遇だのなんだのという意見が出てくる。
ブロガーを厚遇しているという意見について - webdog
影響力のあるブログとないブログがある、というのは事実。主として自己満足のために綴られていたり、読者を意識してはいるものの空回りしてどーにもなっていないブログがある一方、メディアとしてきちんと力を持っているブログもある。梅田望夫氏の造語「総表現社会」だって、1億総表現社会という意味ではなく、これまで表現する側に居なかった人間の何割かが表現する側に回りますよ、といった意味であるのだし。
いわゆる「ブログマーケティング」を考えている企業としては、[成果]=[投資額]×[ブログのBuzz力]で、影響力のあるブロガーをご招待した方がいい、というのは普通ごく当然の計算だろう。
でも、これはとりあえず直感に過ぎないが、Webの持つ重要な特性のひとつに「ロングテール」があると考えるのなら、一握りの力のあるブログだけを集めてなんかやろう、という発想はWebの本質に反するように感じる。
ブロガー各位がなんか書くことによって影響がカスケードしていきロングテってるんですよ、といった見かたもあると思うのだけど(ここで書いたように)、これは情報の収集力・理解力・発信力に差はあるが機会は平等である世界での話。機会に差をつけてカスケードさせるというのは、ちょっと違うニュアンスを生んでしまうだろう。
力のあるブロガーもないブロガーも、「ブロガーである」という点においては対等であり、ブロガー対象のモニター施策で、面白いプロダクトのモニターに選ばれるチャンスも誰もが(全ブロガーの6割ぐらいが)平等に持っている、という体でいる方がブログマーケティングを手掛ける企業にとっても良い状態だと思う。
例えばブロガーのモニター枠が5人分あったとしたらそのうち1、2人ぐらいは小さめのブロガーに割り振っておいた方が(80:20の法則にのっとれば1人になるが)、俺たちもあの位置にいつかは入れるかも? 的な大多数のブロガーの期待がこもった視線を集められたりして、結果的にいいんじゃないだろうか。
モノを貰えるってのは、ブロガーとしては立派な報酬であり厚遇じゃね?
上のwebdogさんの結びにあった「そもそも無報酬を厚遇と呼ぶのはどんな感覚なんだか。」というのに、ずいぶん唸ってしまった。
趣味のブロガーは、モノを自腹で買ってレビューするのが普通だ。MacBook大好きっ子なら発売直後に自腹で買うのであろう新型MacBookを、StartMacモニター企画によってタダで貸して貰えたことを、私はでっかい報酬であり厚遇いただいていると思っている(修理の速さなんか、あからさまに厚遇されてた)。「報酬」というのは労働の対価として支払われるものを指すが、モニターとして一定の契約を結び、それを履行するためにいただくものだから、まあ報酬と捉えていいだろう。自分が望んでいるわけではないものの紹介を依頼される、というのは、またちょっと話が違ってくるのでここでは触れずにおく。
一方で、マスメディアのライターとして雑誌にレビュー記事など書くのであれば、テスト機はメーカーからタダで借りるのが普通(雑誌のロードテストの類など、担当者が自分で買ったものをレビューする場合もある)。レビューは宣伝の意味もあるのだから、メーカー広報から製品を都合してもらうし、同時に広告を出稿してくださいよと交渉しちゃったりする場合もある。
強い影響力を持っているとはいえ、個人ブログを、そういうマスメディア的スタンスで捉えている人もいるんだなあ、と改めて認識して、うーむと唸った。
私は、このブログ上でブロガーとして発言するときには、いわゆる(特段に強烈なBuzz力は持たない普通の)ブロガーと自分を位置づけて考えているので、メディア人的スタンスはどうもしっくり来ない……というか、面倒くさいと思っている。このあたりはまたエントリーを改めて。
- 2007.07.13
- [ネット社会]

小林祐一郎
