荒俣宏の自己肯定感と好きを貫きっぷりは異常
量産型ブログ - 好きを貫けを最も実践しているのはさかな君ではないだろうか。
そういえば、荒俣宏がいましたよ。この人のことよく知らないけど凄い! 絶対!
伊集院光 日曜日の秘密基地 2007年5月6日より発言をピックアップ。
生活に必要な常識すら分かっていないのに、なぜ世間では「物知り」と認識されているのかと妻が不思議がっている。シャワーのどっちがお湯だか分からない。
中学、高校のとき昼飯を食べたことがなかった(親から貰った昼飯代で、小説の原書を買いまくっていた)。当時、皆が食べていた頃に運動場の隅で石を蹴りながら寂しく待っていたことを思い出す。
こんなに世の中におもしろいものがあふれているのに、寝たり、ご飯を食べたりに時間を使うなんてもったいない(過去には風呂の時間ももったいない。公園で水を浴びればいいと発言)。
子どもの頃に、こう考えたことがある。自分はマンガが好きだし、魚とかウニが好きだし、相当に趣味が変だから、自分自身が相当にしっかりしていないといけないと。だから、7、8歳の頃に、もう世間並みの幸せはあきらめようと考えた。お金持ちになるのは無理だし、モテることも不可能だと。美しい女性とか、おいしい食べ物とか、幸せな市民生活というのは無理だと考え、7、8歳ですでに老練の域に達して、お茶を飲んで都々逸を聞いているような子どもになった。
(7、8歳で既にそこに気付くのはすごいと言われ)先生が(自分を)否定しますからね。先生に否定されちゃうともうダメですね。
いま思うと、7歳にして哲学者だったなと思う。この人生をもう一度やるかと言われたら、逃げますね(笑)。
(「帝都物語」の大ヒットについてのインタビューで、ヒットに関してコメントしたこと)何かの間違いです。
サラリーマンはマンガが描けたり魚に詳しくても何の役に立たない。それでもサラリーマンとしてやっていくには、出世しないことの覚悟が必要。
2、3歳の頃から、背が高いという理由だけでいじめられた。そこでの処世術としては、自分が「ウニだ」と言われているなら、ウニであり続ければいいんだ、と思っていた。
番組中に伊集院が何度か驚いているんだけど、荒俣宏は、いわゆるモテなくてしかたなく、とかいじけて本や魚に行ったわけでなく、本や魚が好きで好きで、そっちに集中するために他を捨てることを決めたという変態。好きを貫きすぎている。
こうしてブレずに自分のやりたい道を選べるのは、普通に考えると幼少期に育まれた自己肯定感のたまもの、ということになるが、だとすると荒俣宏の自己肯定感は異常。自己への疑いがなさすぎ。
この回の放送は伊集院の食いつきも異常な感じで、たいへん面白かった。
そして、こんな人なのに2回も結婚してるってのにも驚いた。
- 2007.06.07
- [雑記]


