「書く」ことについての感銘を受けた言葉をいくつか
忘れる前にここにメモっておこう。
いとうせいこう(リクルートのフリーマガジン「R25」のインタビューより)
連載があるから書くのではなく、書くことで、植物たちの様子を知る。
「書かないと観察できないんです。たとえば“緑”って書きたいとき。人に伝えるために、どんな緑なのかを考え始めるでしょ。抹茶のアイスクリームの緑なのか、新緑の緑なのか、信号の緑なのか。そこで観察力が問われ、自分でもどういう緑なのかがわかってくる。書かないとそこまでいかない。ただぼんやりとした緑で終わっちゃう」
なかにし礼(TBSラジオ「伊集院光 日曜日の秘密基地」2007.3.25 O.A.より)
以前に、著書「兄弟」に関するインタビューで「兄の存在が大変にきつかったが、本に書いたら『けっこう自分は兄に影響を受けているし、いい面もあった』と初めて思えるようになった」と話していますね、という伊集院の問いかけを受けて。
(この小説の)書出しは、とにかく「兄貴、死んでくれてありがとう」という思いで書き始めるわけ。それで、兄貴と自分の関係を正確に見て、つぶさに書こうと思って書いていくわけ。
で、原稿用紙600枚書き終わると――この「書く」という作業は、そういう浄化作用をもたらすんですよね。だから書いてよかったわけ。書かなかったら、いつまでも「兄貴こんちくしょうめ、お前なんか地獄で会っても愛してやらない(笑)、挨拶もしないぞ」と思うんだけどね。
だけど「書く」ということはそれだけの精神の浄化作用をもたらすわけで、いよいよ書き終わる、あと何枚かで書き終わるな、という頃になってくると気持ちがどんどん暖まってきて、兄貴に対するさまざまないい感情がこう、ずっと浮き上がってくる――
この域までいくと、実感としてはよくわからん。ただスゲーと思うのみ。
また見つけたら追加する。
「伊集院光 日曜日の秘密基地」のインタビューコーナー(秘密基地VIPルーム)は毎回面白くて、テレビでしか知らなかった著名人がまったく違った面を見せてくれるんだけど、あれはラジオの力だな……というか、テレビがいかにショーアップされ、「わかりやすい」という建前のもとに、脳を一切使わない人にも「わからないと感じさせない」コンテンツ作りをしているかを思う。
- 2007.05.16
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