「はてな匿名ダイアリー」を見ての雑感
はてな匿名ダイアリーで、たまたま見かけた記事より。
座らなきゃ逆に迷惑になるほどの混み具合でもないのに優先席に座る人は、
基本的に誰に対しても席を譲る気がない。
今まで優先席に座るのはみっともないと思って満員電車以外では避けてきたけれど、
むしろ譲る気満々の私が座って、譲るべき人に譲った方がいいのかも。
いや違うだろう普通の席に座って譲ればいいじゃんとか、でも優先席を期待してる人は優先席に向かうから普通の席で譲る機会って意外と少ないとか、どのレベルで考えるかによっていろいろだしアレなんだけど、確かに「譲る気マンマンの人は、優先席と普通席の両方が空いている(そして、この後混むであろうと予想される)車内では優先席に座るといい」というのは、ちょっとしたLife Hackというかコロンブスの卵的発見によるアハ体験だと思った。私もそういうシチュエーションでは普通席を選んできたタイプだったし。
ところで、この「はてな匿名ダイアリー」というのがどういう経緯で作られて運営されているのかよく知らんのですが、ここ特有の不気味さが興味深い。
同じ匿名掲示板状のもので2ちゃんねるの場合、何となく「2ちゃんねらー」というひとつの人格があって、ソレの脳内会議のようなイメージ(今はなき「スパスパ人間学」のような)で読むことが多い。
対して、はてな匿名ダイアリーの場合、「はてな」というサービスを愛用する、どちらかというと理屈っぽくて自己主張の強いタイプの人(私の偏見)たちが、わざわざ自己の顔を隠してなんか書き合い、放言し合っているというイメージがある。どっかにうまい表現があった気がするんだけど……匿名→everyoneにとけ込むぜー ではなく、匿名→匿名だけど実はオレだ! 分かる!? みたいな。
上記記事に続く言及を読み進めると、だんだん不気味になってくる。発言に、その言葉以上の情報がなにも無く、それなのに相対化して読まないと受け取りようがない個人の意見を読まされる(いや、自分が勝手に読んでるんだけど)というのは、なんと(読み手にとって)無価値で無意味なことか。
書き手にとっては、それを吐き出すことによるカタルシスとかウンコしたスッキリ感にもにた爽快感とか、いろいろ価値があるのは分かる。そして、その価値のためだけに存在する場所が当然あっていいと思っている。
でも、読み手がここに書かれた意見や思想めいたものに過剰に入れ込んでしまうのは、危険なように思える。ラジオなんかではどんな極論もDJが相対化して提示してくれるけど、そういうファシリテーター的な人がいない状態というか。このへん匿名実名論とも絡めつつ、いつか考察してみたい。
話が妊婦や子連れの話になっていく中、個人的には不必要なほどネガティブに思える発言が目立つのがちょっと奇異に思えた。
こういう「ご意見投稿コーナー」的なものの常として、ポジディブなことをわざわざ書く人は少ないがネガティブなことはみんな書きたがる、というだけなのか。それとも、はてなユーザーというクラスターが持つ特徴なんだろうか(それは考えすぎか?)。
私の感覚としては、意外と世の中捨てたもんじゃなくて、妊婦や子連れが電車に乗ると席を譲ってくれる人はわりといる。ただ「譲ってくれよな!」とハラの中で思いながら乗ると譲ってもらえないことが多く、別に期待せずにいると譲ってもらえることが多い、というような印象がある。
これは「期待したのにダメだった」ことが強く印象に残りやすいだけなんじゃないかとなのか思うので、何か科学的な証明を突きつけられてあーそうなんだと納得してみたい。
あと「妊婦ですよマーク」は一人で出かける妊婦が持っていると犯罪者に狙われやすくなる(ひったくりとか、やりやすかろう)という意見もあり、この普及が単純に良いことばかりではないようです。
わりと席を譲ってくれないタイプの典型として、20代前半ぐらいの若いビジネスマンと、いわゆる団塊世代男女があるように思う。若い人は自分のことで精一杯でそこまで余裕がないのかなと、もう若くないので達観してみたい。
団塊世代というか、どう見てもいいトシなのに、びっくりするほど大人げない人がたまにいると、これまたすごく強く印象に残りやすい気がする。会社じゃ部長ぐらいのポストにいて悠然としてそうなおっさんが、電車の空席取りに必死になってたりとか、エレベーターに駆け込んできたりとか。
- 2007.03.14
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