「無知」に対し、中途半端に絡むのが一番タチが悪い
無知を怒ったり嘲笑したりする人たち
はじめて入った出版社の先輩編集者にすごい人がいた。読者から(たぶん)の電話にキレ調子で応対していたかと思ったら、電話を置いて「まったく、○○(なんかのソフトの名前)のことも知らないで電話してくるなっての」とかおっしゃるのだ。
雑誌、特に専門誌というのは、読者が知らない情報や読者が持ち得ない視点を提供することによっておまんまの種を稼いでいるわけで、読者がモノを知らないのは普通だ(超マニア向けのせまーい専門誌になるとまた事情が違いますが)。編集者として根本的に間違った思想じゃないかと、非常にイヤな感じだった。
「無知は罪」という言葉があるが、これは「知らないことは悪。知らない奴は罪人」という意味ではなく、「人は、知識がないと罪に当たることをしてしまうこともある。でもそれは、知識がなかったことが問題だっただけで、その人が悪いわけではない。無知こそが罪であり、人に罪はない」といった解釈が適切だと、どっかで聞いたことがありますよ。ソース見つけられませんでしたが。
「知らない」ことを非難したりバカにしたりするのは、一定のルールを双方が共有している場合(互いに知識競争をしているとか)以外では、無意味だし無作法だろう。健康のためにジョギングをしている老人をダッシュで追い抜いて、勝った勝ったと騒いでいるようなものだ。そういう俺ルールの勝負で勝利宣言して喜んでいる姿が微笑ましいのは、せいぜい小学5年生ぐらいまで。
「わかっている人」同士の会話はラク。「わかっていない人」との会話は辛い
多くの前提を共有できる「わかっている人」同士の会話は、いきなり本題に入れるから楽だし、ストレスなく突っ込んだ会話ができるから、とても楽しい。ただ、ある分野における「わかっている人」は増えにくく、閉鎖的なコミュニティになってしまいやすいという問題がある。ビジネス用語で言うところの「パイが小さい」ってやつ?
「わかっている人」を増やしたい、周りの人を「わかっている人」に仕立て上げたいと思った時には、「わかっていない人」に伝えるための言葉選びや話し方ができないといけない。実はこれはなかなか難しく、コミュニケーションがうまくいかないことも多いからストレスにもなる。
このブログだって基本的には「ある程度わかっている人」向けの言葉で書いている。「わかっていない人」を「わかっている人」に引き上げるための文章を書くことは非常にコストが高く難しいため、希少性が高く、商売として成立しやすい。だから、そういうスキルが高い人はあまりブログにやってきていないように思う。
じゃあ、どうすればいいのか?
つまり、こちらのエントリに触発されて書いてるわけですが、
わかってない人の解釈がそれをよく知らない人たちの間に広まるのが許せないのなら、自分から知らない人たちに向けた情報発信をすべし(ARTIFACT)
上記エントリはその標題から続く部分にはおおむね同意なのだけど、「カウンターの書き方」みたいな方向にも行ってるのが気になった。加野瀬さんは文脈の中で「わかってない人」側の当事者でもあるため、「俺を凹ませたければこれくらいやってみせろよ」という挑発なんだと誤読されるおそれがある。当然それは折り込み済みだとは思うけど。
また、この前後の文脈の中での「わかってない人の解釈がそれをよく知らない人たちの間に広まるのが許せない」的情報への対応法としては、シンプルに誤解の訂正や疑問の提示という形でやる方法もあるし、「知らない人たちに向けた情報発信」という方法が唯一の解ではないと思う。
それにしても、中途半端に誤解を指摘して(感情的なものだけを表明して)、「なにが違うのか?」といいう当然相手が持つであろう疑問にちゃんと答えてあげないのは、とりあえず不親切な人だなという印象になる。
「わかってない人」と何も分かち合う気がないなら単に無視すればいいし、「わかってる人」になってほしいならきちんと教えてあげないと意味がない。また、コミュニケーションはしなくていいが誤解は正したい、という場合は、その「正したい」というミッションを達成するために、それなりにコストをかける必要があるのではないだろうか。まとまった「知らない人たちに向けた情報」のアーカイブがひとつあれば、類似の「わかってない人」に対してそこを読むように言えば全部解決する、という効果もある。
このエントリへの反応として「知らない人向けに情報発信するのはコスト(時間、難易度両面で)が高くてできない」的なものが多いみたいだ。そりゃ当たり前で、スキルと時間がそれなりに必要な作業であることは間違いない。
で、こうした場合の傾向と対策として、2つの話を振りたい。
ひとつは「Wikiとか使えばいいんじゃね?」ということ。まずは自分の分かってることだけとりあえず書いて、後はほかの人に委ねる。個人の編集スキルのかわりに集合知に頼るわけだ。はてなグループって、こういうことをするためにあるんじゃないのだろうか。あと、いわゆる「まとめサイト」的なものを指向して作れば、自分の作業は最低限にできる。Web上にあまり情報リソースがないジャンルでは難しいけど。
もうひとつは「狂気(自分が感じたミッションに対する使命感とでも呼ぶべきもの)が足りない」という指摘。好き(趣味)で何かをするときに「難しいから/時間がないからやらない」というのはつまり、その壁を何とかして乗り越えたいと思うほどには好きじゃない、ということだ。中途半端に突っ込むのが悪い。「わかってない奴」が目障りだとしても、最後まで面倒みきれないならほっとけばいいのに。ケンちゃんが全部面倒見るっていったから飼っていいって言ったんじゃない! ポチだってちゃんと面倒見てくれる人に拾われた方が幸せなのよ!
ただ、上記エントリの件でいえば、一方の当事者が加野瀬さんといういささか特殊な存在なので、「オタク全般について深い知識を持ってると思ってた加野瀬さんに意外な弱点があるという発見に興奮しました」とか、「あなたのような発言力のある人が間違った情報を流すのはとても困ります」といったことがある(特に後者)ので、単に「中途半端に突っ込むのが悪い」という言い方はちと公正な見解とは言い難いかもしれない。すいません。
そして、狂気が足りないのは別に悪いことじゃないし、私もそれを批判したいわけではない。ただ「凡庸だ」というだけ。
「わかっていない人」のために書かれた良記事
このように「わかっていない人」のために文章を書くことは難しいが、書かなければならなくなることもある。
たまに「上手に文章を書くにはどうすればいいんですかね?」的な質問を受けることがあって、すごく困る。何しろ私は編集や文章について体系だった教育を受けたことがなくオール我流なので、こういった時に上手に教えられなくて苦労する。
文章にもいろいろあるが、「わかっていない人」のための文章を上手く書く方法として、ひとつ、わりと自信を持って言えるアドバイスがある。それは「相手の気持ちや知識を想像すべし」ということ。世の一般的な人はインターネットに対してどのような認識・知識を持っているのか。クラシック音楽にこれまで興味を持ってこなかった人はなにゆえ興味を持てずにいて、どうすれば興味を持ってくれるんだろうか。よくある誤解、よくある障壁は何なんだろうか。そういえば、俺が興味を持ったきっかけは何だったかな、とか。
「わかっていない(し興味もない)」と「わかっている」の間にはどんな隔たりがあるのか、どういうものによってその間を繋げばいいのか、のイメージができれば、何を書けばいいのかもおのずと見えてくる。
ただ、意外と金持ちが貧乏暮らしをイメージできないように、「わかっている人」は「わかっていない人」をなかなかイメージできない。ここが難しいが、ネットを使えば「わかっていない人」の言い分を探すのもわりと容易だし、その人に直接ヒアリングすることだってわりと容易だ。
「わかってない人」のため良記事として今パッと思い浮かぶものがないんだけど、これを読んだおかげで対象に対する興味が湧いた、というサイトはいくつかあったと思う。思い出したら追加する予定。
例えば、
ジェンダーフリーとは ~Q&Aですぐわかる!~
よくある誤解や疑問を拾ってQ&A形式で解説されており、それほど興味がない人も引きつけられるし、ぐいぐい読み込まされてしまう。この形式は他のテーマにも応用しやすく、作りやすいのではないだろうか。Q&Aははてな等のQ&Aコミュニティサイトから拾ってくるという手もある。
作られた経緯も、前述のエントリのような話と重なるのではないかと思う。
- 2006.12.29
- [コミュニケーションの話(ソーシャルメディア、社会の話)]












