リア充さんと、値踏みされるブログエントリー  

先日「Web2.0時代にはブログで小金でしょ」といった発想を持つ人についての話を伺い、これは興味深いなあと思ったのと、「リア充」という言葉を知ってこれも面白かったので、ちょっと関連づけてみる。 私は、インターネットというのは新たな人間関係を構築できる場であり、それがネットの最大の...

先日「Web2.0時代にはブログで小金でしょ」といった発想を持つ人についての話を伺い、これは興味深いなあと思ったのと、「リア充」という言葉を知ってこれも面白かったので、ちょっと関連づけてみる。

私は、インターネットというのは新たな人間関係を構築できる場であり、それがネットの最大の価値で、Web2.0とか呼ばれる時代になっても変わらないと思っているけども、なるほどリア充(リアルの生活が充実している)の人にとっては、そこはそれほど関心の向くところではない。

となればWeb2.0=小金、という関心の方向性にも納得できる。私の見てきたネット上で行われる諸々のことには、格好つけていえば「金は度外視」的な部分も多かったように思うけど、そこの諸々がしっかり値踏みされる時代になった。そして、そこにはリア充さんたちの流入、という現象が重なるのだなあ。異なるマインドを持つ者の間での共通した価値基準として「金」が介在するようになった、ということだろうか。


で、こちらのエントリー。

ブログに金を払ってエントリー書かせたほうが結局マーケティング的効果は薄いのではないか?(みたいもん!)

私にはちょっと分かりにくかったが、自分なりに、こう解釈した。

ブロガー向けに、「○○の宣伝エントリーを書いたら100円」みたいなサービスがあるが、この手のサービスは(事業として成功するかどうかとは別の問題として)根本的に、宣伝の質が上がらない構造になっている。

それは、どんなエントリーにも一律で値段をつけているため。同じ値段なら、質の高いものを書ける人はアホらしくなってやらないし、そうでない人は必死に書き続ける。結果、質の低い書き手ばかりが残る。これこそグレシャムの法則だ、と思う。たぶん。

「アホらしくなってやらない」の理由はいくつか考えられる。

・自分の書くブログはプライスレス(金は度外視)のはずなのに、明確に「100円」と値段をつけられたように思えて、嫌になる
・自分の書くブログはもっと価値があると思っているのに、100円かよ! と腹が立つ
・あいつの糞エントリーと俺の超絶エントリーが同じ値段、という現実に気づき、切なくなる
・100円とか、つまらない(と自分が思う)値段で必死に提灯を持っていることにハッと気づき、自分に呆れる

上記構造を回避するにはどうすれば良いかというと、各エントリーの価値を計って報酬に差をつければいい。とりあえず簡単なのは成果報酬型にすること。大胆にピラミッドの頂点だけを取りに行くことにして、力のある人(ONEDARI BOYSとか?)に個別にアクセスし、金銭または金銭以外の何か(人脈とか名声とか)を報酬にして書いてもらえばいい。それ以上に大掛かりな価値を計るシステムがペイするのかは謎だが、謎システムで値踏みすることによってゲーム要素が生まれるのかも。

でもそうすると、大多数の「質の低い書き手」は報酬を得られなくて、切ない。切ない層を狙ったサービスとして一律に安い値段を与えるサービスを思いつく。あ、一律に同じ報酬って、そもそもロングテール的構造が作れないんだ。


非常に乱暴な分け方だが、リア充の人(ここでは悪い意味を加えて、ネット=新たに小金を稼ぐ場、自分以外はNPC、的な捉え方の人)と、そうでない人(自分以外のプレイヤーも見てる人)の間にはネットに流通する情報の捉え方も違う。そこで情報にあえて値段をつける時、自分の表現に値段をつけられる時の思いというのはいろいろなんだろうなあ。

アフィリエイトとかコンテンツマッチ広告みたいなのは、表現そのものを値踏みしているわけではないので、プライドを傷つけないのか。で、「どんな駄エントリーでも1本100円」なんてサービスが今後も長らえられることはないように思うが、広告予算の中の誤差みたいな額で出せるものなら、誤差の桁に収まる広告効果でも何となくOKだったりするのかも。


追記:
1:nとか云々の話が何のことか分かった気がする。100円貰うために書くエントリーは、どうしても借り物の言葉、紋切り型の表現ばかりになってしまう。なぜなら、自分が実際には経験していないものだったり、本当は興味のないものについて書いているからだ。CGMマーケティングの最大の価値は「リアルユーザーによる、(狭い範囲でも)深く突き刺さるリアルな言葉が使われること」にあるが、それが無くなったCGMは、つまり価値がないと。借り物の言葉ばかりのそれは、できの悪いマスメディア(1:nと書かれてるもの)と変わらないと。これは全て表現力=書き手の質の問題として語れるように思う。

追記:
■[ネット][生活]「リア充」を使っているのは大学生以下らしい(ARTIFACT@ハテナ系)