「低ITリテラシー者の口コミこそ信用できる、という最近の印象」へのツッコミ  

「知らないゆえの純粋さ」の危険さ

その昔、「純粋な子どもの心に戻りたい」という人に対し「子どもの純粋さはただ何も知らないだけで、時には無神経だったり残酷だったりもする。そんなのには戻りたくない」と反論した人がいて、ふーむなるほどと思ったことがあり、先日電車に乗ったら、おじいちゃんと孫(女の子)が乗ってきて、

爺「(自分が座った隣の空席を叩いて)ここ座りなさい」
孫「じーちゃんプーするからやだ!」
爺「しないから座りなさい」
孫「プー! プー!」

とかいうやりとりを聞いてたら我慢できず笑っちまいました。

確かに、ただ「何も知らない」だけの純粋さなんて危なっかしいだけで、あらゆる世の中の毒や理不尽さも知った上での善良さ、優しさ、高潔さこそを目指したいものです。


低ITリテラシー者の口コミというのには、そんな「(ネット口コミの力を)単に知らないだけ」という面もあり、そんなものを一番信用できる、と単純に考えてしまうのは危険である、とも言えます。

情報リテラシーとITリテラシー

こちらで突っ込みもいただいてますが、

アフィリエイト絡みなレビューは全て信用ならないのか?(北の大地から送る物欲日)

いわゆる情報リテラシー(人前で「うちの祖父はよく放屁します」と表明するようなことを言うのはやめておこう、と考えられる程度から)と、ITリテラシー(ネット特有の「口コミ」に関する知識、ツールの操作全般の知識をとりあえずセット)は別モノで、こう分類できる。

A.情報リテラシー(高) ITリテラシー(低)
B.情報リテラシー(低) ITリテラシー(低)
C.情報リテラシー(高) ITリテラシー(高)
D.情報リテラシー(低) ITリテラシー(高)

タイプAの人たちもネットに参加しやすくなり、彼らが集まるコミュニティはいわゆるひとつの「性善説コミュニティ」な感じで新鮮だ。というのが先のエントリーで述べた印象(そして、その場で扱う問題が難しくなるとタイプBが少なくなるので、いい感じだなあというのもあった)。

タイプAの人たちもITリテラシーを身につけてタイプCに成長し、アフィリエイトとか使いこなせた方が絶対いいはずだし、上手な「知の運用」スキルを身につけることで、いろんな面で豊かになれることは確か。でも一方で、そこらへん計算のまったくないノーガードっぷりが強く心を打つこともある気がする。けど一度知っちゃったら演出では無理な気もするなあ、といったのが最近よく考えることです。自分の問題というよりもむしろ、一度そういう「使いこなせてる」ところを見せてしまうと、周りの人が「使いこなせてる人じゃん」と認識して、そういう見方になってしまう、ということかも。

一度知ってしまったら、もう「プロレビュアー」を目指していくしかない気がする。ネタ的面白さを追求するとか、自分のキャラづけ、スタンスを明確にして、メッセージが正しく届き、変に勘ぐられないようにするとか、等々。

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