オレ文章術。またはテキストコミュニケーション観  

私がブログ、というかWebページという表現形態を好む理由のひとつに「誰かに向けたようでいて結局は自己満足の文でもOK。まあ大抵は誰かしら拾ってくれる」という気楽さがあり、メール不精である理由はその反対に「特定の相手にきちんと伝わらなければ無価値になってしまう」ということに厳しさ、または面倒くささ、もしくは逃げたくなるほどののっぴきならなさを感じるのであります。

つまり「伝わったか?」という課題に1/0で結果が出てしまうメール、対して結果を明確に知らなくてすむブログということであり、私がウケ狙いなネタを書く気があまり起きないのも、結果が露骨に出るのが嫌で避けてるんだろう、という自己分析までできてしまう始末。


ブログで「『ダーリンはアキバ系』という本はひどい」と書いたとき、私の思った「ひどさ」は他者に正しく伝わらないかもしれないが、そのズレの範囲はある程度想像できていて、その間の誤解ならまあOKだと思っている。時には想像を超える誤解があって、それはそれで面白かったり面白くなかったり。

私にとってブログとは、この正しく伝わらない可能性、時には想像以上に伝わらない可能性までを込みにした表現手段であり、第一には自分が(時にかなり適当なことを)書いて気持ちよくなるための場である。


一方、メールなど「伝えなければならない」タイプのコミュニケーションでは、取り組み方が異なる。伝えるべきものを正しく伝えたいときは、1度きりの言葉に全てを託そうとは思わない。何度もやりとりを繰り返し、プロトコルを整備しようとする。根気の続く範囲で。

ひとつの言葉に対する互いの受け取り方が違う可能性は大きいが、1,000ぐらい言葉を交わせば、ズレはきわめて少なくなっていく。そして、やがては他人にとっては意味不明だがお互いの間だけで意味が通る、新たな言葉が生まれてくることもある。仲間同士の符丁めいたものから、「おーい」のトーンの違いだけでお茶や新聞が自由自在に出てくる、というものまで。

妻とは家が離れていて、結婚前には毎日のようにMessengerで話していたが、最初の頃は言葉の解釈のズレでけっこうモメた。まあでも、毎日何百、何千往復と言葉を交わし、理解し合おうと努力することで、ズレは修正できてきた。

一時期、あちこちのチャットルームを放浪していたことがあった。学生やら主婦やらサラリーマンやら、いろんな人がチャットやってくるが、総じて文章力は高くない。というか、チャットで物事をきちんと伝えるというのは実はかなりの高等技術の部類に入ると思う。最低限、速い入力技術と、少ない単語で掛かり受けの明確な、シンプルな文章を組み立てる能力を身につけていることが必要だし、プラスαとして、他のメンバーの発言を把握する能力と、顔文字満載の辞書があるとなお良い。

そんなスキルを完備している人はあんまりいないので、自分が幸いにしてそうだったら、他の発言者の言葉が足りてない部分をさりげなく補足できるように発言を促したり、「それは○○ということだね」と会話を整理してあげたりすると、たいそう喜ばれる。ただし、一方的に喋り倒したいだけの人には近づかないこと。

チャットでそんな誰にも頼まれないモデレーションをしていたモチベーションは、とにかくヒマだったことと、異文化交流の面白さ、それから、初心者風の人たちに「ネットは面白い」ということを経験してほしいなあ、という思いからだった。ネットでも何でも、コミュニティ的なものは最初に出会う人がしょーもない人だと装置そのものに悪印象を持ってしまうが、私自身、最初にけっこう良い出会いができてネットに良い印象が持てたと思っているので、どうせヒマだし、と。

ちなみに、相手の言ったことを繰り返すのはコーチングの基本的な技術でもあるらしく、それだけで相手は「分かってもらえた」という満足感を得られるらしいですよ。私もコーチングについては勉強中ですが。

ブログ文章術の米光さんに刺激されて自分語りをしてみました。

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