はてなやmixiから妄想する、コミュニティを統治する新しい方法  

この話の続き。久しぶりのmixi新機能がニュース機能だったのを見て、mixiにはmixi内をがんばって統治して、ひとつのまとまりにしていこう、みたいな発想は(少なくとも現時点では)ないんだなーと感じた。横幅はどうでもいい。 で、 mixiは一夜にして300万人のパブリック・ジャー...

この話の続き。久しぶりのmixi新機能がニュース機能だったのを見て、mixiにはmixi内をがんばって統治して、ひとつのまとまりにしていこう、みたいな発想は(少なくとも現時点では)ないんだなーと感じた。横幅はどうでもいい。

で、
mixiは一夜にして300万人のパブリック・ジャーナリストを得た(WebDog)
このエントリーを最初はmixiに対する皮肉と読んだんだけど、それは私が読みたいように読んだだけであって、それじゃ(私が)ダメなんじゃねーかと思い直した。

これらから関連して考えたことがいろいろあるんだけど、とりあえずひとつ。


コミュニティを統治しましょう、とするとき、何かしら管理側がアクションを起こせば、それに反対する人が必ず出てくる、という問題がある。表だって反対運動が起きない場合でも、少しずつ溜まったストレスがどこかのタイミングで爆発することもある。「じゃあ利用しなきゃいいじゃん」なんて言ってると、何十万、何百万とかの単位で会員を集めるのは難しいんだろうと思う。

ちなみに、先に書いた「規範を示す」というのはもうちょいマイルドに(押し付けがましくなく)、miklyで誰が見ても気持ちよい会話のキャッチボールがなされているとか、質のいいユーザーを連れてきてインタビューでもしてみるとか、そんなことを想定していた。

こんな経験のある人はいないだろうか。クラス委員長か何かになって、がんばってルールを作ったり、問題を解決しようとたりして努力し、最初はけっこううまくいく。すると「できて当たり前」という空気が生まれると同時に、だんだんと問題の量が増えて手に余るようになってきて、どこかで手が回らなくなり、バーストする。

すると、それまで頑張ってきたポイントは全部帳消しになり、たったひとつの事件によるマイナスだけが皆の印象に残って、あいつはダメなリーダーだったねー、みたいな話になってしまう、というようなこと。切ないね。

大規模なコミュニティの統治のしかたっていうのは、もっと別の方法論があるのかなあと、ぼんやりと思う。問題が起きても適当に放置して、荒れまくってどうにもならなくなり、皆が救世主を切望するくらいになってから「いま知りましたよ」てな顔で颯爽と現れ、悪の首領だけを叩いて子分はそのままでへへーと改心させ、また颯爽と去っていく、という方がいいのかもしれない。

考えてみれば水戸黄門や正義のヒーローも「あの代官が悪いらしい、早速叩こう」なんてことはせずに、8時35分ぐらいまでじっくり待ってるもんね。その方がドラマが盛り上がるし、大きな感謝を受けることもできる。これを「水戸黄門メソッド」と呼ぶとすると、

・最後の10分ぐらいだけ働けばよく、コストを最小化できる
・大きなマイナスになってから大きくゆり戻すことで、実際にかけたコストよりも大きな仕事をしたかのような印象づけができる
・コトが大きくなるまで放置しておくことは「ユーザーの皆さんを信頼して、自浄作用に期待していました」というメッセージでもある
・本当に自浄すれば万々歳

と、いいことばっかりだ。


はてなブックマークで暴言問題があったときの、はてなの対応もこんなタイミングだった。近藤氏や笠原氏は、肌の感覚としてここらへんのタイミング感が分かってますよ、ということだとカッコイイのだけど。

私にはこのへんのタイミングのはかり方というか、間の取り方はよく分からないので、学んでいきたい。

ちょっと見方を変えて。
ほんの数年前まで、コミュニティサービスは管理コストばかりかかって金にならないと言われてきた。全書き込みを監視するために24時間スタッフを張り付かせる、ということを普通にやってきていたためで、これは、コミュニティの参加者ひとりたりとも傷つけるまい(実際問題としては無理だけど)、訴訟沙汰になるようなトラブルを起こすまい、というところからの行動だった。

最近のコミュニティサービスは、3つの大きな発想の転換によって、上記のような問題を回避するようになった。

(1)コンテンツマッチ広告によるミニメディアの収益化
(2)「マイページ」の発明。ユーザーに自分が作ったコンテンツの管理責任を持たせた
(3)コミュニティをスケールフリーネットワークと捉え、小さいトラブルはまーしゃあないと捉えるようになった

「へんな会社の作り方」のインタビューをさらっと読んだのだけど、はてなの近藤社長は、はてなブックマークの暴言問題や関連して起きたトラブルに対して、「長い目で見れば、まあそんなこともあったよね、ぐらいの話になる(そんな小さいノードのトラブルは全体から見れば些細なことですよ)」といった趣旨の発言をされていた、確か。「コミュニティの参加者ひとりたりとも傷つけるまい」という発想とは全然違うと感じた。

はてなブックマークのトラブルではてなが訴えられたときに、はてなは責任問題を逃れられるのかどうかよく知らないけども、こういう「小さいトラブルはとりあえずほっとけ」というのは、故障に強い(小さいノードで局地的なトラブルがあっても大勢への影響はほとんどない)とされるスケールフリーネットワークの特徴を活かしきることでもあり、新しいなあと思った。

ネガティブに見れば、小さなユーザーはどこに行っても(影響力の強いユーザーに比べて相対的に)冷遇される不平等なシステム、ということでもあるのだけど。


※コミュニティを統治(管理)云々については前にも書いていたことを思い出した。
「コミュニティを管理する」の落としどころ