ブログという対話プロトコルによって、何が変わるのか?
先のエントリー「ブログは新しいインフラでありプロトコルになった」は「ブログ」とか「心の消費カロリー」といった言葉の定義をゲンミツにせずに書いたのだけど、何となく良い塩梅に読み取っていただけているようなので安心した。
ブログというコミュニケーションプロトコルの普及によって何が起こるか、について考えてみたい。端的な例としては、梅田望夫氏が私のブログにコメントを書かれた(これ)というのが、挙げられると思う。
先のエントリーに書いたことと重なるが、ブログの特徴として、次のようなものが挙げられる。
多くの前提を共有した会話が可能。相手の人となりがよく見える
ブログによって、相手の人となり、議題への理解度やスタンス、自分への関心度や態度などが分かりやすく、それを踏まえたところからシンプルに会話できるし、何を書いたらどんな反応があるか、予想がつきやすい。そのためのリテラシーは必要だけど。
会話を切りやすい。興味のある会話だけができる。ネタごとの細切れのおつきあい
メールや掲示板等における会話で、本題が解決しても何となく自分からやりとりを止めるのが気持ち悪い、と思ってしまうのは私だけではないと思う。ブログにはそういう空気はなく、1往復の会話が基本。返事をしないのもアリな空気が強い。トラックバックなんて投げっぱなしになることが大半で、その中から興味のあることだけを拾って話を繋げることもできる。無駄に心のカロリーを消費するダレた会話が必要がなくなるネタごとのおつきあいに関しては、先のエントリーの通り。
記事に紐づいたコメント欄であれば、あらかじめその記事に関する話であるという前提が共有されるし、また「そのネタ限りのお付き合いだけ」という空気がある。一方で掲示板では、前フリ後締めを多少書かないと会話にならないし、何となく「今後にも渡って全面的なお付き合いをする」が前提とされているような空気がある。
手間がかからない
トラックバックならトラックバックURLをコピペするだけだったり、コメントならすぐに本題に入れたり、最低限の手間でコミュニケーションできる。先の梅田氏のコメントは約200文字だが、これだけの内容がメールで届いたら、なんのこっちゃと思うだろう。前フリ後締め等々も加えたら400文字は軽く越えてしまうはずだ。
広く浅いコミュニケーションが盛んに行われる
どんなコミュニケーションツールでも、それを使って深くコミュニケーションするのは可能だ。これからのコミュニケーションツールは、いかに広く浅く、しかも気持ちよくコミュニケーションできるか、というのがカギになりそうだ。梅田氏が私のブログにコメントを書かれたというのは、つまり、梅田氏の「広く浅いコミュニケーション」圏内に私のブログも入った、ということだといえる。そもそも私が梅田氏のブログに言及してトラックバックしたことも「広く浅いコミュニケーション」の一環なわけだ。
人はこういう浅いコミュニケーションだけでは満足できないが、広く浅いコミュニケーションの中から、深いコミュニケーションをする相手を選べる。つまり選択肢が増える。双方向のコミュニケーションではなく、一方向だけのもの(いわゆるヲチ)においても。
そういえば以前「ブログはモテる人がもっとモテるための仕組みだ」と言ってた人がいたけど、それはひとつの結論だろう。オープンになる→あらゆるもが強者へ集中→いろんな格差が生まれる、という流れが、社会全体でも、あらゆるニッチコミュニティにおいても起こる。小コミュニティの中で政治力によって地位を維持してきたような人は不要になる……と、どこかで読んだような話になってきた。
視野の広まり→広いコミュニケーション→個々のコミュニケーションは浅くなる
RSSを含めたXMLの普及によって、私たちは今までよりも強力な情報収集能力を手に入れる。ブログにポストされた記事は1分後には検索対象となり、日本中のブログから情報を引っ張ってこれる。そうした広い視界に対応し、広いコミュニケーションが行われるようになる。となれば、ひとつひとつのコミュニケーションは平均すると浅くなっていく(浅い=悪いこと ではない)。別の視点から言えば、そういうことだろう。
関連して考えたこと:Radical Trustというか何というか
隣の人がこんなこと書いてた。Web2.0的サービス提供者の資質 -Radical Trust(近江商人 JINBLOG)
私は英語力がないのでよく分からないんだけど、このRadical Trustにつく「進歩的性善説」という訳の意味がピンと来ない。「根本的な部分での信頼」ということなら腑に落ちるんだけど。
※(11.3追記)Radical Trustに関して、原文嫁やボケという心の声が聞こえたので読んでみた。ピンと来ないというか個人的な感覚としてグッと来ない概念であることが分かった。モヤッとは来た。
はてなの最近のサービスやmixiが成功した理由は、ユーザーと提供者の目的意識が一致していること、または一致しているとユーザーに思わせたことにあると思う。
知り合いと日記読みあったりして交流する場所があるといいでしょ? だから作りました。みんなでブックマークを共有すると面白いでしょ? だから作りました、というユーザーの視点から立ち上がり、ユーザーと情報を共有しつつ進んできたから、ユーザーは提供者を味方だと認識し、信頼てくれた。この「同じ目的意識を持つ味方だという認識」&「信頼」を得ることが、Radical Trustなんじゃないかと思う。
ユーザーと同じ目的意識を持つ、というのは、
Web 2.0 マーケティング 6つの指針
ここにある「自らが(も)コミュニティの一部である」という考え方、
技術者もビジネスマンも「Web 2.0」に夢中?――Web 2.0会議にみなぎる熱気
ここにある「Trust-Based Marketing」という考え方に通じるだろう。
「さみしくない人々」が集まるコミュニティサイト
このRadical Trustてのがどうも…(finalventの日記)この文章全体としての意味がよく理解できてないんだけど、「さみしい人々」という言葉がひっかかったので、そこにちょっと言及したい。ネットコミュニティのコアユーザーは、リアルのコミュニティだけでは満たされない「さみしい人」である、というのは今までの一般的な認識だし、こと「はてな」に関していえば、今でもそうだなと思う。mixiはどうだかよく分からない。
しかし、これからのコミュニティに参加する人たちは、さみしい人たちばかりではない。
例えば@cosmeの会員の何割がいわゆる「さみしい人々」かといえば、おそらく半数よりもずっと少ないだろう。さみしいからネットを使うのでなく、コスメについて知りたい、情報交換をしたいから、という目的でクールにネットを使う人が集まって、あれだけのコミュニティが形成されているのだと思う。
そこの目的を捉えたCGMサービスがユーザーを集め、発展していく。「さみしくない人々」を取り込めるサービスこそが、Web2.0的なコミュニティサービスなんだと思う。
- 2005.11.02
- [Web2.0(ウェブ2.0)]







