ヒトが珍しかった頃  

いつかはどこかで出るだろうネタを、一番はじめにしっかり見つけてくるのは偉い。

「自然な出会いだった」――mixiで結婚した2人

今どきネットが縁で結婚なんて珍しくもないわけだけど、それが今をときめくmixi、みんな大好きなmixiとなれば、ニュースバリューもある。基本的にはふーんと思いつつ読み流したんだけど、ちょっと気になる点があった。

結婚した2人が出会った頃のmixiはまだ数千ユーザー規模であり、100万会員を抱える今のmixiでは出会えなかっただろう、というコメント。確かにそういう面はあるんだけど、そうでない面も大きいだろうと思う。

普段のクラスでは話をしない奴とも、放課後に数人のグループで一緒になると妙に話が弾むように、ヒトが少ない中ではその一人ひとりに濃厚な関心が向く。逆に人数が多くなると、一人ひとりに向けられる関心は薄くなる。過疎の村でヒトが倒れていたら一大事だけど、繁華街の道にヒトが倒れていても見向きもされない、というのも似たような現象だろう。ちょっと乱暴だが。

ネットのコミュニティでも、数十人程度なら本当にみんなが顔見知りで、たまたまそこにいた普通の人が、意外な有名人と友達になれちゃったりという機会も多い。一種の先行者利益といえるだろうか。

だけど、人が増えていくほどにコミュニケーションは薄まる。数千人のユーザー全員がひとつの輪を形成することなんてできないし、時間が経てばコミュニティへのスタンスも変わる。古参ユーザーの多くは広いコミュニケーションを求めなくなって表舞台から消え、新しいユーザーが台頭する。

基本的にはそうだけど、mixiはちょっと特殊だ。「足あと」の仕組みで行動を心理的にある程度制限したり、いくつでもコミュニティを作れるようにしたりすることで、100万人のコミュニティのようでありながら、実際には無数の小コミュニティである、という状態になっている。

メンバーはある程度流動するが、それまでのコミュニティサービスとはどこか違うと思う。ネットにないはずの「距離」の概念が、mixiには存在しているような気がする。他人のページを見に行ったときに「自分→マイミク→そのまたマイミク」のように関係の距離が表示されるのも、ひとつ象徴的なものかもしれない。

当時のmixiユーザーは、まだ数千人。「みんなが顔見知りだった」と、ユリヤさんは振り返る。外界から守られた、こぢんまりした温かい空間。知らない人のページにも気軽に訪問できたし、赤の他人の日記にコメントを付けるのも、普通だった。

これの半分は誤認識だ。数千人のメンバーが全員顔見知りなわけがない。数千番台の私はこの結婚した2人を知らないし。それはユーザーの心理として、コミュニティに入ったばかりで、まだ遠い世界を知らない、そして積極的に参加しているので「縁遠い人」という認識をしていないだけだ。


2人が知り合った当時、人口数千人だったmixiは、1年ちょっとで100万都市に成長した。気づいたら、隣は知らない人ばかり。mixiで出会いを求める男女につけ込む、犯罪まがいの話もちらほら聞くようになった。

mixi全体が100万人だったとしても、招待してくれた人がマトモな人でさえあれば、100万人の前で途方に迷うことがないのが、mixiのいいところだ。


彼らがあのとき、普通に出会い、普通の恋ができたのは、奇跡に近いできごとだった。「今のmixiだったら、きっと出会えないと思う」――2人はそう言って、うなずきあった。

「今のmixiだったらきっと出会えないと思う」というのは2人の正直な感想だろうが、彼らにとってのmixiの意味合いが変わったことを含めて、読まないといけない。決して、一般的な話として「今のmixiではもうこんなロマンスは生まれない」と言っているのではない。

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  • 2005.07.21