「ブログ大賞」はどうあるべきだったのか?
ブログによって、大手のメディアサイトや検索サイトに偏在していた「情報の価値」が、小さなサイトのあちこちに点在するようになった。それに伴って、かつては大手サイトだけにあった「権威」や「信用」も、小さなあちこちのサイトへと分散した。今はその分散の過渡期だと考えられるが、ブログ界がこの動きの最先端にあることは間違いない。
「○○大賞」のようなイベントは一般に、価値や権威を持つ者が持たざる者を引き上げる行為だが、ブログ界にはそもそも価値や権威の偏在が起きていないのだ。「記者」を名乗る人物の己に特別な価値があるかのような振る舞いは裸の王様的に映るし、マスコミや大手企業が同様に思い込んでいるのも同様であり、単なる裸のオッサンが歩いていれば皆躊躇なく「おまえ裸だぞ」と囃し立てるのも当然のことであろう。
「ブログ“大賞”」というイベントの名前が、そんな「権威付けのための賞」というニュアンスを濃く持っていたため、フタを開けたらなんじゃそりゃという話になってしまったのは、なんとも残念な話であり、相互の認識のギャップが生んだ悲劇だと思う。
ちなみに参考:
輝く! 日本ブログ大賞2005
『輝く!日本ブログ大賞』に「ふざけるのもいい加減にしろ!」と批判続出
こういうイベントをやる意義は、3つある。
1:受賞ブログに権威付けをする
書籍化するときオビに書いたり、ウチのサービスではこんな人気ブログがあるんだよと宣伝したりできるようになる。
2:マイナーだけど面白いブログを発掘する
誰も知らなかったけれど優れたブログが受賞をきっかけにブレイクするというのは、賞を授受する双方にとってメリットのある、美しい物語となる。もちろん読者にとっても。
3:ブログ界の盛り上がり感を出す
賞などのイベントをやっていることで盛り上がってる感じがするし、媒体としては、うまいこと広告をゲットできる可能性もある。
今回のブログ大賞について聞いた話を総合すれば、出版社のくせに1の発想はなく、そこかわりに3の「ブログって盛り上がってるなーという感じを出そう」という意識が強かったようだ。
それで「レコード大賞」という番組の盛り上がり(賞の権威でなく、あくまでも「番組の盛り上がり」)から連想して、また主要ブログサービス提供会社を横断した大きな企画であるという意味を込めて「ブログ大賞」というドデカイ名前にしていたのではないかと想像している。
開催宣言にもこう書かれている。
このプロジェクトは、日本を代表するブログサービスが一丸となってイベントを行うことで、ブログの認知を高め、ブログシーンをさらに盛り上げることを目的としています。
2004年は「ブログ元年」といわれ、「ココログブックスコンテスト」はじめ、多くのコンテストも行われましたが、これらは同じレーベル(サービス)内のものでした。「日本レコード大賞」にあたるような、すべてのサービスが集まる、業界を代表するイベントはまだ存在しません。
輝く!日本ブログ大賞 2005 開催宣言
コンセプトが伝わりにくかったのかなあという気もするし、もっとうまく説明できたかもしれないとも思うが、何にせよ「大賞」という言葉のイメージと実際のイベント内容の乖離から批判が生まれた部分はあると思うし、これが「みんなのブログ祭り」みたいな名前であったら、もうちょっとうまく着地できていたように思う。
じゃあ、前述の意義2+3を目的としてイベントをやるとき、どういう企画が最も効果的で、広く支持を得られ、盛り上がるのだろうか?
とりあえず「賞」を与えるのは、与えられるだけの権威がないんだから、やめた方がいい。ブログ界にこれといって突き出た権威は存在しないし(どこかで「アルファブロガー」とか選んでたけど)、だから表彰もそぐわない。しいて言えば「眞鍋かをりがいつも読んでるブログ」みたいな、強烈な個性による個人的セレクト、という形はアリだと思う。
「賞」でなく「人気投票」ならアリでしょう。組織票や諸々の投票操作に対抗できるシステムがあれば、だが。
発掘に関していえば、単純にテレフォンショッキング式がうまく行くと思うんだけど、誰もやりたがらないのは何故?
自薦を受け付けてひとつひとつ見て回るという、どう考えても無駄の大きいシステムをなぜ取り入れたのか分からないけど、それだけの労力をかけられるのなら、面白いブログを探してきて紹介したり、お題を出してトラックバック募集したり、といったことは簡単にできるだろう。
- 2005.04.04


