ブロガー新聞5号と「参加型ジャーナリズム」についての考察
今週は「週刊! 木村剛」を毎日チェックしてました。
読んだ中には、残念な記事がありました。例えば裏を取ったわけでもない伝聞を「真実だ!」というのは、ものを書く人間のごく基本的な良識として、やっちゃイカンでしょう。フカシ過ぎです。
木村氏批判は本題ではないのでこの話は置いといて、ブロガー新聞第5号です。「ネットは新聞を殺すのかblog」を主宰している現役記者の湯川氏が編集長を務めておられます。
[ブロガー新聞] 新潟地震マスコミ批判騒動に見る「参加型ジャーナリズム」
今回は「ハブ」やら「駆け込み寺」でなく、論点の整理と再提起を目指した内容になっています。テーマの鮮度がよく、「ネットは新聞を殺すのかblog」よりもPVが多いであろう「週刊! 木村剛」上で、それまでの騒動を総括する形で行われることにより、一定の意義のある記事となっています。
多数のブログを取材(閲覧)され、11月3日の祝日がまるまる潰れたとのこと。「かなりの数のエントリーを読みましたが、トラックバックを読むだけとさほど変わらない結果になったことは否めません」とのことですが、騒動が「週刊! 木村剛」を中心として起きたものだけに、「トラックバックを読むだけとさほど変わらない結果」となるのも当然かな、と思います。
この第5号並のクオリティを作るためには湯川氏並のスキルを持つ人材と1日潰れるほどの時間が要る、ということは、ブロガー新聞の今後の課題といえるでしょう。実質的に、この方向性でこのクオリティを続けるのは非常に難しいわけです。ココログが「週刊! 木村剛」に支払っているギャラの何割かが一日編集長に渡ることで、もしかすると人材と時間が確保できるようになるかもしれませんが。
湯川氏の提唱する「参加型ジャーナリズム」という言葉については以前から興味を持っていたのですが、具体像が見えず、うーん、同人誌(という言葉が悪ければマスコミに対するミニコミ誌)なのか? という程度の理解しかしていなかったので、触れていませんでした。が、これを機会に少し考察してみたいと思います。
その前に、ブロガー新聞の見出しに私の見解を。
▼「週刊!木村剛」はマスコミか?
「マスコミ」という言葉の定義論になると面倒ですが、木村氏がギャラを貰ってブログを書いている以上、「週刊! 木村剛」は一般のブログとは別のステージにいると考えるのが自然でしょう。仮に「マスコミ」の定義に当てはまらかったとしても、特別なポジションにいる(端的にはココログナビ上で)、プロの書き手によるブログとは言えます。
これに対して木村さんは「皆さんに勘違いされているかもしれませんが、私は公人でも公務員でもありません」とはっきり明言されています。とありますが、「公人でも公務員でもありません」発言は木村氏の本業である金融関連の仕事についてのみ書かれているものなので、ブロガー新聞中のこの部分は(「木村氏はブロガーとしてあくまでアマチュアであると宣言している」というような意味に)誤解される可能性があるので、修正された方が良いと思います。
▼ブログは事実関係に責任を持つべきか
「確実に真実であると証明できることしか書いてはならないか?」という問いなら否。しかし、自分が信用ある人間と評価されたいなら、ブログに限らず、伝達する情報の質には気を使うべきです。事実関係は可能な限り調査し、真偽の怪しい部分があるならそう明記すべきで、確認も取っていない伝聞を「真実だ!」なんて書いちゃいけません「こんな話がありますよ」ぐらいにしておくべきです。
「木村剛はマスコミがらみになると異常にキレる」という特殊なキャラをつけたいなら、その面においては飛ばし気味に書いたほうがいいかもしれませんが。
▼ダメマスコミの性根は直らないのか
性根が直らないから「ダメマスコミ」と呼ばれるのでしょうが。十把一からげなマスコミ批判に意味があるとは思えませんし、長くなりそうなので、ここはひとまずパス。
▼参加型ジャーナリズム
ここで湯川氏は
参加型ジャーナリズムとは、編集権をコミュニティーの中に分散させる新しい形のジャーナリズムです。何をニュースとみなすか、どのような取材マナーであるべきかなど、コミュニティーが決定するわけです。
実は参加型ジャーナリズムの究極の形をわたしはまだ思い描けていません。
と書かれています。やっぱり湯川氏にも具体的なイメージはないのね、と半分安心しました。それならいくら読み込んでもイメージできないわけだと。
大ざっぱに0の位置に一般市民、10の位置にマスコミがいる図があるとして、10のマスコミじゃダメだから5ぐらいの位置に情報を取捨選択・再構成して再配布(つまり編集)する仕組みを置こう、という話が「参加型ジャーナリズム」だとしたら、まさに同人誌やミニコミ誌的であり、私にとって興味の持てるものではありません。
ブログやRSSの普及による情報流通の変革というのはもっとドラスティックなもので、0の位置にいる一般市民が直接ブログで情報を発信できたり、RSSリーダーで情報の収集・取捨選択が容易になったりするものです。とはいえ、そんなことを本当にやるにはそれなりのリテラシーが必要になるわけで、そこで中間的なシステムのひとつとして「参加型ジャーナリズム」が出てくる、という話の流れだと私は理解しています。
でも、それがアマチュアの仕事(一般人が5の位置まで上がる)であれば現在の「ブロガー新聞」と同じスキル&時間の問題があり、いくらかでも報酬を受け取るプロの仕事になれば(一般人が5の位置に上がるにしても、現在のマスコミ人が5の位置まで降りるにしても)、“小型のマスコミ”として、現在のマスコミと同じ問題に向かい合わなければいけなくなるでしょう。どちらにしても、システムは既存のミニコミや同人誌のWeb版のようなイメージになります。
「コミュニティの中に編集権を分散」という意味も分かりません。編集とはひとつの意思に基づいて行われる仕事で、「コミュニティ」という集団の意思に基づかせるということは、多数決でしょうか? それならGoogleニュースを読みます。
現在「参加型ジャーナリズム」を唱えている方たちは、どんなイメージを描いておられるのでしょうか。私にはまだよく分かりませんでした。
ある程度のノイズを内包しつつも、情報の仕分けをネットの自律性に任せられるgooブログのテーマサロンのようなシステムは、マスコミと並んで存在すべき価値を持つ情報システム(「参加型ジャーナリズム」という言葉は避けて)として、ひとつの未来像である気がしています。
もし人力で編集することに意義を見いだすなら、そう思った人がすぐに始めればいいことで、そのための道具はブログの登場により揃っているのではないでしょうか。そして、そこには「参加型ジャーナリズム」なんて新しい名前をつける必要はなく、「面白いブログ」ということでいいんじゃないかなーと思う。つまり、私は現在「参加型ジャーナリズム」なる名前で語られているるものについて非常に懐疑的で、何かものすごく新しいもののように注目すると、実体は……てなことになるんじゃないかと考えています。
- 2004.11.05


