週刊! 木村剛「ブロガー新聞」に載ってた
それも先週のに。トラックバックもないし、ブロガー新聞経由のアクセスも少なかったので気づきませんでした。
取り上げられたのは3号なんですが、私が提言した「見出しに注力すべし」ってのはスルーし、別のところ、1日編集長さんが言いたかった部分と重なる部分だけが引用されています。あれだけ分かりやすく結論を書いたつもりなのに、そっちは無視なんですかね? という気持ちの悪さがあります。まあ、文章が悪くて理解していただけなかったのでしょう。
このブロガー新聞、今のところ「1日編集長」に任命された一般ブロガーが、決められたお題で木村剛のまねっこするだけのコンテンツになってますよ。
木村剛の記事が好きな人も、まねっこの記事まで読むほどヒマなわけではなさそうです。私のブログへの誘導の少なさが、(他の要因もいろいろあるわけですが)「ブロガー新聞」の不人気を示すひとつの指標であると言っていいのではないでしょうか。
例えば今週のブロガー新聞は「モラルについて考える」がテーマのようなんですが、結局何が言いたいのか分からない。
ここまでくると、だんだん気持ちが沈んできてしまいますが、この「モラル」の件に関しては、私は、非常に楽観視しているのです。
というのも、この「モラル」に関しては、これを見ているたくさんの方々は、「大問題」だと感じていらっしゃると、信じるているからです。
ここがひとつの結論なんでしょうか?
よく知らない話題なので墓穴を掘るのは避けたいところですが、モラルに関する問題は「誰もが問題視していないわけではないが、改まらない」というところにあるのではないでしょうか。
日本人は唯一絶対の神をもたない代わりに、周りの人、「世間さま」というものに見られているという考えが、自分の行動を律する働きをしていたと聞いたことがあります。が、現代では「世間さま」など単なる背景程度にしか認識していない者が多い(教育の問題)。また、周囲で最低のモラルしか持たない者に合わせて「アイツがあそこまでやってるならオレだって」となってしまう者も多い(モラルを問題視する理性とは関係なく、感情の問題)。ブログを書いてブロガー新聞に参加する、という特殊な人たちが「大問題」と感じている、ということによって楽観視できるようなことじゃありません。
ブロガー新聞の1日編集長さんは揃って「ハブ(情報を繋ぐ者)」になりたがっているようですが、当初言われていた(と思う)「駆け込み寺」とハブは全然違うでしょう。「ウチの寺にはこれだけの人が駆け込んでます」という張り紙を門前にするだけなのがハブなら、駆け込んで来た人が抱えている問題を聞いて、解決のために動いてあげる、というところまで面倒見るのが駆け込み寺なんじゃないでしょうか。
今のブロガー新聞は、オピニオン力という面であまりに期待はずれであり、不甲斐ないと感じます。
で、「見出しに注力せよ」と前回言ったわけです。
とにかく、今のブロガー新聞はあの細かい文字を全部読まないと内容が分からないのがいけません。新聞というのは、忙しい人は見出しだけ読んで、なるほどそういうことが書いてあるのかと理解する。深く興味を引かれた人だけが本文を読む、という読み方をされるものでしょう。それが「新聞」であるための絶対条件だとは言いませんが、新聞の編集手法の優れたところです(逆手に取ると東スポのように“見出しで釣る”という使い方もできます)。
今週のブロガー新聞に私の解釈で見出しをつけるなら、
ブロガー新聞:モラルについては楽観視
といったところですか。これではあんまりな上に後の話が続けにくいので、仮に
ブロガー新聞:モラルは宗教心から
とでもしておきましょう。
で、「今週のブロガー新聞は『モラルは宗教心から』って言ってたよ」、「人に優しくしようとも言ってたよな」とか、みんなが会社や学校、近所などで話すわけです。それがオピニオンでしょう。「モラルについて考えてたよ」だけだったら、そこには何のオピニオンもありません。「なんて考えてたの」、「さあー? そこまでは読んでなかった」で終わりです。「楽観視してたよ」に至っては、考えた意味まで抜け落ちてます。
主張を持った、ひとことで言える見出しをつける、つまり、寄せられた意見を集約して編集長なりの方向性を与え、「週刊! 木村剛」という場で堂々と主張することが、ブロガー新聞の意義であると考えています。
- 2004.10.29


