CNET Japan Blogと電車男に見るハイテク世代論
CNET Japanの「梅田望夫・英語で読むITトレンド」にて、ここのところ興味深い話題が続いています。
以前の記事から続く話題で、サーバーに全部のメールを溜め込む「Gmail」は、「ローカルにメールを溜め込み、サーバー上のメールは速やかに削除する」という従来のメールクライアントの発想とは一線を画す。前者のような発想ができる「ネット世代」は従来の「PC世代」の人間とはどこかが根本的に異なる。それは「ネットの向こうの不特定膨大多数への信頼」だ、という話。
そして、この記事では「ネット世代」、「PC世代」というネーミングにあるように、世代論の形で両者の違いが語られています。
ゲストブロガーの岡田正大氏が梅田氏の説をさらに進めた形で、
さらにその背後を考えてみると、実はこの「信頼」は純粋に他者に対するものではなく、自分自身に対する信頼を投影しているものではないかと思う。
私もこれに同意。梅田氏もおそらく少し言葉が足りなかっただけで、同じ認識だろうと思いますが。
こちらでは、リアルとネットの関係の中で、
「自分への信頼」と「情報リテラシー」を備えた者が真のネット世代ならば、そうした人々は、実は「リアル社会への影響力」も必然的に持つはずである。これら3つの条件を満たしている個人は、当然ながら、リアル社会かネット社会かを問わずに「成功者」たり得る人物であろう。ここを目指すべきだ。
という結論を出しています。
私が言及したかったのは、主に前の2つの考察について。
ここで言われている「ネット世代」を「ネットの向こうにある不特定多数の人間が発する情報に信頼を置いている=その情報を取捨選択し、自らのために使いこなせる自信を持つ人」といったん自分の言葉で定義しつつ、次に進みます。
おそらく、こういった、先の記事で言う「世代」の分岐点にはいろいろあって、古くは「電話世代」と「郵便世代」というのもあったかもしれません。両者の違いは、もちろん「電話というテクノロジーに信頼を置き、使いこなせるか否か」。太平洋戦争は「巨艦巨砲世代」と「艦載機世代」との戦いと言えたかもしれません。
(2004.6.4追記)旧日本海軍は「巨艦巨砲主義」にこだわったことはなく、「艦隊決戦主義」である、との指摘をコメントでいただきました。私の誤解を流布させてしまったことをお詫びしつつ、問題箇所に削除マークをつけておきます
各人がどちらの世代に属すことになるかは「成功/失敗体験の蓄積量」だと考えます。
低容量で脆弱なサーバーに悩まされ続けたトラウマを持つPC世代には、無意識のレベルでサーバーやネットワークに信頼を置くことができない。
巨艦巨砲主義で勝ち続けた日本海軍は、どうしても航空戦力を過小評価し、戦艦に頼ってしまった。
自分たちが開発したサーバーに絶対の自信を持つGoogleは、それを基点にGmailのようなサービスを開発できた。
両者の分岐には「テクノロジーの進化」という時間の要素が入るので、統計的に見渡した場合、世代論として語ることも可能になるでしょう。
だとすると、時代が変わるときに旧時代のデバイス/テクノロジー/思想への依存を払拭し、生き残るためには、常に好奇心を持ち、新しいことに積極的に挑戦して成功体験を積むべし、ということになります。これは個人的な体験からも、実際そうなのではないかと思います。
結局のところ「ネットの向こうにある不特定多数の人間が発する情報に信頼を置いている=その情報を取捨選択し、自らのために使いこなせる自信=情報リテラシー」だろ? と思った方、きっと大まかに言えばその通りです。
しかし、英語力のない日本人である私にとって「リテラシー」とは「素養」とでも呼ぶべきものであり、お勉強で身につくもの、というニュアンスで認識しています。しかし両者の世代を決定的に分けるのは、長年の経験で身につく習慣、固まってしまっう想像力の限界、英語でいえばhabit? それくらい深く刻まれるものではないかと思うのです。
話変わって、最近、自分がいかに先の記事で言うところの「旧世代人」かを思い知らされた、新世代の男を見ました。それは電車男。
やじうまWatchの紹介文を引用しましょう。
独身男のよくある妄想を現実に体験した2ちゃんねらーの物語
男が独身を長く続けていると、「悪漢に嫌がらせされている女性を、我が身で助けて、好かれたい」などというろくでもない妄想が頭をぐるぐると駆けめぐり、自己嫌悪に陥ることがある。しかし、事実は小説よりも奇なり、とはよくいったもので、こんなストーリーを現実にそのまんま体験した男性がいたようだ。このドラマの主人公になったハンドル名「電車男」さんの告白は、2ちゃんねるの「毒男が後ろから撃たれるスレ」で3月から始まり、5月まで続いたようだ。まとめサイトの感動の物語は、読み始めるとほかのことが手につかなくなるので、どうぞご注意を。
電車男は、自分が恋愛にチャレンジするにあたって2ちゃんねるでアドバイスを求め、2ちゃんねるの情報を自分で取捨選択し、使いこなしています。彼には「困ったら2ちゃんねる」という発想があった。それは、彼が今まで2ちゃんねると関り続けたことにより培われた2ちゃんねるへの信頼であり、2ちゃんねるの中から役に立つ情報を選び取れる、という自信(または自信を持つまでもない確信)があったからに違いありません。2ちゃんねるという特殊なコミュニティに立脚した世代として、「2ちゃんねる世代」とでも呼ぶべきでしょうか。
私の考察に賛同されるか否定されるかはさておき、電車男のまとめは家事を放り出してでもご一読のほどを。
私も恋愛についてネットで検索して情報を探すかもしれないし、ネットを通じて誰か(特定個人)に相談をもちかけるかもしれません。でも、2ちゃんねるで相談という発想は絶対に出ません。そもそも2ちゃんねるをほとんど見ていないし、2ちゃんねるに溢れるノイズの中から有用なシグナルを拾い出すと、いうことができそうにありません。
Googleの中の人はGmailという偉大なWebサービスを開発し、そのほかの「Web世代」と名指しされた人たちも、大きな仕事をしています。それに比べれば電車男は、ただ「人生初の恋愛にトライした」というだけです。が、本人の人生をどれだけ豊かにしたか、という点で見れば、もしかすると電車男の方が上であり、進歩的かもしれません(そんな見方になんぼの価値があるのか、という疑問も湧きますが)。
2ちゃんねる世代云々については、テクノロジー論よりも宮台真司なんかが語るコミュニティ論と合わせて考えるべきなんだろうなとも思いつつ、何かの新しいわけのわからないものをしっかり使いこなせている人には、ニュータイプ性を感じずにはおれません。まあ、「電車男には2ちゃんねるしかなかった」という見方もできるわけですが、それを言えばGoogleにも「パーソナルコンピュータ用OSを作る」という選択肢はなかったでしょう。屁理屈めいてきたので、とりあえずはこのへんで。
関連記事:
コミュニティへの信頼感はどう育つか
追記:
書籍化された「電車男」が新潮社より、10月末発売予定です。
- 2004.05.27



